転生夫婦の新婚事情 ~前世の幼なじみが、今世で旦那さまになりました~
プロローグ:或る男の最期

◆ ◆ ◆


 抜けるような青空だった。

 周囲はみずみずしく生い茂る草花にあふれ、頬を撫でるあたたかな風に乗ってどこからか鳥のさえずりも聞こえる。

 血なまぐさい戦場とはまるで違う──こんなにも美しい景色の中で死ねるなんて、存外自分は幸運なのかもしれない。
 太い木の幹を背もたれに両足を投げ出して地面に座り込む男は、知らずうち口もとを緩めた。

 背中までかかる長い青銀の髪は乱れ、端整な顔は明らかにまずいとわかるほどの土気色だ。男の左脇腹にある深い切り傷から染み出したものによって、寄りかかる木の根元付近には赤い水溜まりができている。

 ──致命傷。
 かつて命のやり取りを日常にしていた男には、わかっていた。複数の人間を相手にした戦闘中、避けきれず負ってしまったこれがそうであると。

 添えた右手のひらの下にある裂傷は、それを受けた瞬間から容赦なく熱い血を流し続け男の命を削っている。そして今、その命は尽きようとしていた。

 けれど。


「……これで、会えるか」


 僅かに微笑みながらつぶやいた声はほとんど掠れていて、自分すらもよく聞き取れない。

 だけどもう、どうでもよかった。ようやく自分は、解放されるのだ。
 彼女のいない──この世界から。

 ゆっくり、目を閉じる。薄いまぶたを巡る血潮が赤く染める視界で、思い浮かぶのは鮮やかに笑うひとりの女性の姿だった。
 だらりと力なく地面に置かれた左手のひらの中、在りし日に彼女が男の髪を手ずから結ってくれた際に贈られた髪紐を、大事に握り込む。

 男の唇が、また小さく動く。生涯でただひとり愛したその名を呼んだはずの声は、すでに音として空気を震わす力さえなかった。

 たくさん人を殺してきた自分の魂は、たくさん人を救った彼女とは違い、きっと綺麗なところにはいけない。
 だけどもしも……もしも、また別の世界で、出会えることができたなら。
 今度こそ自分は、彼女を守り抜こう。
 想いを、告げよう。

 やわらかな風が吹き、男の髪を揺らした。本来ならば美しい光をたたえているのであろうその青銀は、今は土ぼこりや乾いた血がこびりついて汚れてしまっている。
 それでもここにはそんなことを気にとめる存在もなければ、本人でさえ何を思うこともない。

 意識が遠のいていく。抗うこともせず、ただ穏やかな心で身を委ねる。

 すべての感覚がなくなる直前、男は耳の奥で、自分の名を呼ぶいとしい声を聞いた気がした。
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