今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第3節

 昼食をとって航志朗が淹れたミルクティーを飲みながら、ふと安寿は思いついた。

 (そうだ。莉子ちゃんにも手伝ってもらおうかな)

 さっそく安寿は航志朗に相談した。笑みを浮かべながら航志朗が言った。

 「安寿。今、俺も君と同じことを考えていたよ。莉子ちゃんにお願いしてみたら? そうだ。莉子ちゃんの都合がよかったら、今夜、彼女にここに泊ってもらえばいいじゃないか」

 「いいんですか!」

 安寿は目を輝かせた。そして、安寿は首をかしげた。

 (あれ? 航志朗さん、今、「莉子ちゃん」って言った?)

 電話をすると即決で莉子は手伝いに行くと言ってくれた。もちろんお泊りもしたいと莉子はスマートフォンの向こうでとても興奮していた。航志朗のマンションの住所を伝えると、その二時間後に莉子は地下鉄に乗ってやって来た。莉子は一人ではなかった。一緒に大翔を連れて来た。ふたりとも大きなバッグを持っている。大翔は恐る恐る航志朗にあいさつをした。航志朗は気さくに大翔に笑いかけて言った。

 「大翔くん。君が前に安寿が言っていた『ラグビー部の彼』だね」

 莉子は安寿をひと目見るなり大声を出して言った。

 「もう、安寿ちゃんったら、髪ぼさぼさ!」

 莉子はバッグの中からくしを取り出して安寿を椅子に座らせ、安寿の髪を梳かし始めた。安寿は気持ちよさそうに目を閉じた。航志朗は仲良しのふたりの姿を微笑ましく見つめた。

 ダイニングテーブルに椅子を追加して、四人で絵を描き始めた。クルルは頬杖をついて面白そうにその光景を眺めた。

 突然、莉子がクルルに言い出した。

 「クルルちゃんも一緒に描こうよ! 見てるだけじゃつまんないじゃない」

 クルルは目を見開いてぎょっとした顔になった。初めて会ったばかりだというのに、莉子はクルルに平然と日本語で話しかけている。それでもふたりは意志の疎通がとれている。改めて大翔は莉子に感心した。

 (莉子は懐が深いんだよな。怖いもの知らずっていうか。さすが、あの安寿さんの親友だ)

 莉子はクルルの長い髪をまとめて結んだ。そして、半ば強制的に画筆を握らせた。莉子のなすがままにされたクルルはしぶしぶ色を塗り始めた。顔を上げて仏頂面のクルルを見た航志朗は笑いをこらえて肩を震わせた。それに気づいたクルルは、航志朗をじろっとにらんだ。

 その時、莉子のスマートフォンが鳴った。莉子の父からの電話だった。莉子はため息をつきながら困り顔で言った。

 「パパがお菓子を持って、ここにごあいさつに来るって言うの」

 胸をどきっとさせた大翔が困惑した顔をして莉子を見た。余裕の笑みを浮かべて航志朗が言った。

 「それは楽しみだな」

 すぐに莉子の父がやって来た。インターホンが鳴ると航志朗は大翔に提案した。

 「大翔くん、念のために靴とバッグを持ってバスルームに隠れていたほうがいいんじゃないのか」

 あわてて安寿が大翔をバスルームに案内した。安寿は洗面脱衣室のドアをしっかりと閉めた。

 玄関で焦茶色の作務衣を着た莉子の父は、にこやかに航志朗にあいさつをした。

 「先程、莉子から安寿さんがご結婚されたと聞いて大変驚きましたよ。正直、非常に残念です。安寿さんは本当に素晴らしいお嬢さんなので、ぜひとも莉子のどちらかの兄の嫁に来てもらいたいと思っていましたので」

 莉子は苦笑いして航志朗を見上げた。航志朗は安寿を無言で見下ろした。安寿は下を向いた。莉子の父は桐箱の菓子折りを安寿に手渡して言った。

 「このたびはご結婚おめでとうございます。先程おふたりのご結婚のお祝いにと、私が心を込めてつくりました。どうぞお納めください」

 安寿と航志朗は礼を言ってお辞儀をした。安寿は心の奥が微かに痛んだが、莉子の優しい父の厚意をありがたく思った。

 莉子の父は「娘が今晩お世話になります」と頭を下げてから帰って行った。安寿と莉子は顔を見合わせてほっとした表情を浮かべた。

 「さっそくティータイムにしようか」と言って、航志朗はバスルームに向かった。ドアを開けるとスポーツシューズとバッグを抱えた大翔が小さく縮こまっていた。大翔がぼそっと小声で言った。

 「莉子と付き合っていること、彼女の家族にはまだ内緒なんです」

 航志朗は大翔を温かく見つめて、大翔の肩に柔らかく手を置いて言った。

 「大翔くん、莉子ちゃんのお父さんがつくってくれたお菓子を一緒にいただこうよ」

 大翔はうなずきながら思った。

 (岸さんて落ち着いていて、めっちゃかっこいいな。蒼、申しわけないけど、おまえに勝ち目はないな)

 ダイニングテーブルの上で安寿は桐箱を丁重に開けた。安寿は目を大きく見開いた。中には桃や桜の花、菜の花をかたどった春の上生菓子が並んでいる。色鮮やかな紅鯛や可愛らしいハートもある。中央には新郎新婦を模した上生菓子まであった。新婦はどことなく安寿に似ている。思わず安寿はその熟練した細工に見入ってしまった。

 緑茶を淹れて運んで来た航志朗は安寿の顔を微笑みながらのぞき込んだ。安寿は恥ずかしくなってうつむいた。

 クルルが新郎新婦の両隣に並んでいる上生菓子を指さして不思議そうに莉子に尋ねた。

 「この女の子と男の子は何だ?」

 すぐにひらめいた莉子は大声で答えた。

 「ふたりの未来の赤ちゃんよ!」

 思わず安寿と航志朗は顔を見合わせた。安寿は真っ赤になった。安寿の様子を目の当たりにして、思わず莉子も顔を赤らめた。

 それから、莉子に強い調子で勧められて、安寿は新郎の上生菓子をおずおずと口に入れた。その時、航志朗がおどけて言った。

 「痛っ!」

 新郎を口にほおばったまま、安寿は固まってしまった。莉子と大翔とクルルは目を見合わせて肩を震わせた。

 航志朗は新婦の上生菓子をそっと手のひらにのせて軽くキスしてから、愛おしそうに安寿を見つめながらゆっくりと口の中に入れた。莉子と大翔は鼻の下を伸ばして顔を見合わせた。クルルはふんと鼻を鳴らした。いたたまれない気持ちになった安寿は下を向いてため息をついた。

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