今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
第15章 遅ればせながらの新婚旅行

第1節

 安寿が大学に入学してから三週間が経過した。清華(せいが)美術大学は付属高校に近くその隣町に位置する。最寄り駅も同じで、通学は高校といたって変わらない。

 本格的に始まった大学生活には、共に進学した莉子と大翔と一緒に講義を受けていることもあってすぐに慣れた。婚約中のふたりは見るからに幸せにあふれていて、安寿まで嬉しくなってしまう。三人はそろって美術学部に進学した。安寿は油絵学科で、莉子は視覚伝達デザイン学科、大翔は工芸デザイン学科である。

 大学の入学式の朝、航志朗から電話がかかってきた。航志朗は明るい声で言った。

 『安寿、大学入学おめでとう!』

 安寿は二週間ぶりの航志朗の声をほっと安堵しながら聞いた。実は、昨日の夜、新しく始まる大学生活への不安からよく眠れなかった。

 航志朗は思いがけないことを訊いてきた。

 『安寿、入学式には何を着て行くんだ?』

 すぐに安寿は答えた。

 「昨年、航志朗さんに買っていただいたネイビーのワンピースです」

 もうすでに袖を通している。スマートフォンの向こうの航志朗が大きなため息をついたように聞こえた。

 航志朗も心から安堵した。

 (とりあえず、ひと安心だな。あの絶対に人目を引く着物姿で出席されたら、大学の男どもに一気に注目されかねないからな)

 それから、航志朗はクルルの美術館の内装工事は予定通り進んでいて、安寿たちが描いた牛の絵のタイルは一枚ずつ天上のドームに慎重に貼り付けられていると伝えた。

 航志朗は念を押すように言った。

 「安寿、皓貴さんにはくれぐれも気をつけろ。絶対に彼には近づくなよ」

 安寿は朝からその名前を聞いて胸騒ぎがした。

 不運にも入学式の直前に安寿は黒川に遭遇してしまった。式典が開催される大学の講堂の入口付近で莉子と大翔と待ち合わせをしていた時だった。

 大学の校門を通るとサークル勧誘の学生たちから次から次へと声をかけられて心底辟易した。安寿は大学のサークル活動に参加するつもりは毛頭ない。すべて断ってひと息つくと、ふわっとどこかで嗅いだことのある香りが鼻をくすぐった。すぐに「安寿さん、ご入学おめでとう」とたおやかな声をかけられた。安寿が後ろを振り向くと、黒川が微笑みながら立っていた。黒川は墨色の着物をまとっている。いっけん簡素だが、誰が見ても高級品だとわかる反物で仕立てられた品のある着物だ。そして、その優雅な身のこなしも黒川がひと目でただものではないと見せつけられる。現に黒川は通りがかりの女子大生たちにうっとりとしたまなざしで見られている。

 安寿は丁寧にお辞儀をしてから、黒川に面と向かって言った。

 「黒川先生。私を名前ではなく姓で呼んでいただけますか」

 黒川は愉しそうに少し高めの声で答えた。

 「僕は君を名前で呼びたいんだけど。いちおう親戚なんだし。だめかな?」

 「はい。だめです」

 安寿ははっきりと黒川に言い放った。

 くすっと笑った黒川は着物の袖から腕を伸ばして、安寿の黒髪に触れた。

 「安寿さん、君って本当に面白いね。女の子にお願いして断られたの、今が初めてだよ」

 そう言うと、黒川は安寿の黒髪を指にからませた。

 安寿は顔をしかめて黒川の手を払い、その場を立ち去った。

 (なんなの、あのひと。航志朗さんに少しだけ似ているけど、まったくの別人だ)

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