今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 近所のスーパーマーケットに寄って、安寿と航志朗は夕食の食材を購入した。マンションに帰宅すると、シーフードカレーと大量の野菜のサラダを一緒につくった。すると、航志朗が大きな赤いリボンが結ばれた細長い包みを持って来て、安寿に手渡した。航志朗に言われるがままにリボンをほどくと、中には、安寿が生まれた年のプロヴァンス産のヴィンテージワインが入っていた。前もって航志朗がノアに頼んでおいたのだ。ノアは代金を受け取らなかった。「私たちからの贈り物です。二十歳になったアンジュとあなたのために」と、ノアはスマートフォン越しにいつもの優しい声で言った。

 航志朗は安寿の肩を抱いて言った。

 「二十歳になったんだ。乾杯して一緒に飲もう」

 「でも、航志朗さんは……」

 「今夜は特別だよ」

 そう言うと、航志朗は食器棚からワイングラスを二個取り出してきて、ダイニングテーブルの上に並べた。手際よく航志朗はワインのコルクを開栓すると、手慣れた様子でグラスに注いだ。グラスの中にピンク色のバラが満開に咲いたようにロゼワインが満ちる。そして、辺りには芳醇な甘い香りが漂う。それは、大人になった証しのようだ。もう酔いが回ったかのようなとろけた目をして安寿はつぶやいた。

 「きれいな色……」

 「もちろん、君のほうがきれいだけど」

 「いい香り……」

 「もちろん、君のほうがいい香りだけど」

 「航志朗さん、もう酔っているんじゃないですか!」

 「確かに。俺はいつも酔っているな、君に」

 まくしたてるような甘い言葉の応酬にいたたまれなくなって、安寿は下を向いた。

 航志朗はワイングラスを目の高さに持ち上げて、安寿の目を見て言った。

 「安寿、二十歳の誕生日おめでとう!」

 「ありがとうございます……」
 
 恥ずかしそうに安寿は微笑んだ。その可愛らしい表情に航志朗の心は和んだ。

 安寿と航志朗はグラスを合わせた。軽快な高い音が響いた。ゆっくりと安寿はワインを口に含んで喉に通した。生まれて初めて口にする酒だ。身体のなかに熱い液体が流れ落ちていき、それは身体の芯を溶かしていく。

 「おいしい!」

 思わず安寿は無邪気に言った。航志朗は心から愉しそうに微笑んだ。

 安寿がひと口飲み干したのを見届けてから、航志朗もワインを飲んだ。とても品のある所作だ。以前「酒は飲まない」と言っていたが、当然のことながら航志朗は慣れている様子だ。

 「うん。甘くておいしいな」

 安寿はワインボトルに巻かれている少し色あせたラベルを見た。確かに自分の生まれた年が印刷されている。

 (このワインがつくられた年に私は生まれた。そして、私とこのワインが五歳になるまでママはこの世にいたんだ……)

 安寿の目と鼻の奥がつんと痛くなった。

 あわてて安寿はグラスの中のワインを飲み干すと、航志朗に言った。

 「航志朗さん、もっといただいてもいいですか?」

 「おいおい安寿、大丈夫か。酒飲むのは、もちろん初めてなんだろう?」

 小さく安寿はうなずいた。

 「航志朗さん、いいでしょ?」

 心なしか頬を赤らめて可愛らしく首を傾けて安寿は言った。航志朗はそんな安寿を止めることができない。肩をすくめて航志朗は安寿のグラスに再びロゼワインを注いだ。

 シーフードカレーには手をつけずに、大泣きして喉が渇いていた安寿はまるで水を飲むようにぐいぐいとワインを飲んだ。お腹が空いていた航志朗はカレーを食べながら、安寿を顔をしかめて見つめた。

 (空きっ腹でそんなに一気に飲んだら、すぐに酔って眠くなってしまうんじゃないのか。せっかくの二十歳の誕生日の夜なのに)

 安寿との甘い夜を期待していた航志朗は両肩を落とした。

 安寿はとろんとした目で航志朗を見つめた。航志朗は胸をどきっとさせた。

 「安寿、大丈夫か? 温かいうちにカレーを食べたら」

 ゆっくりと安寿は椅子から立ち上がって、航志朗に近づいた。そして、カレースプーンを持った航志朗の膝に乗って、その両肩に手を置いて言った。

 「航志朗さん、私、今、とってもいい気持ち」

 「……酔っているな、安寿」

 「私、酔ってなんかいませんよう」

 そう言うと、安寿は航志朗に抱きついた。

 「でも、とっても気持ちいい……」

 「安寿、それを『酔っている』って言うんだよ」

 膝の上に安寿を抱きながら、航志朗はため息をついた。

 こんなことをしたら本当に眠ってしまうと思いつつも、たまらずに航志朗は安寿の黒髪をなでた。安寿は航志朗に身をあずけて目を閉じた。しばらくふたりは身を寄せ合っていた。

 すると、突然、目をぱちっと開けて、安寿が言った。

 「私、お腹が空きました。カレーを食べます」

 安寿は航志朗の膝から降りて椅子に戻り、冷めてしまったカレーライスをおいしそうに食べ始めた。そして、食後のデザートのイチゴをつまみながら、安寿はほとんど一人でワインひと瓶を飲み干してしまった。航志朗はあぜんとした。

 「驚いたよ、安寿。君って、酒に強いんだな」

 少し得意げに安寿は笑った。

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