今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 その時、航志朗は大きなくしゃみをした。

 今、航志朗はシンガポール中心部のビルディング内の超高層階にあるオフィスにいる。中は極地の寒さと同じくらい強力にエアコンが利いている。鼻水も出てきて、CEOのデスクの上に置いてあるティッシュペーパーで鼻をかんだ。航志朗の目の前でゲーミングチェアに座ったアンがノートパソコンから顔を上げて、思いきりしかめっつらをして言った。

 「おいおい、コーシ! 風邪を僕にうつすなよ。僕の可愛いベビーたちを抱っこできなくなるだろ!」

 「アン、俺、風邪なんかひいてないって! ……噂でもされたのかな」

 「コーシ、おまえはひとり暮らしなんだから、ほんと体調管理には気をつけろよ。というより、アンジュは元気なのか? 春から全然アンジュに会っていないんだろ?」

 わざと航志朗は語気を荒げて、デスク越しにアンに顔を近づけた。

 「アンー! おまえがツインズと一晩でも離れたくないから、シンガポ(ここ)ールから一歩も出られないって言ったんだろ。だから、俺はソウルも上海も同時並行で業務をこなしてきたんだろうが! 俺はアンジュと三か月近くも会っていないんだ! 毎日、彼女が泣いていたら、どうしてくれるんだよ?」

 アンは両手を上げてあせったように言った。

 「オーケー、オーケー、コーシ! ソウルと上海のプロジェクトはもうすぐ業務完了だ。今月末の上海でのレセプションパーティーに出席したら、八月いっぱい休暇を取って、アンジュとゆっくり過ごしてくれば?」

 「ほ、本当にいいのか? アン!」

 航志朗はデスクに両手をついて、アンにキスしそうな勢いでもっと顔を近づけた。

 「も、もちろんいいよ、コーシ……」

 気圧されたアンは後ろに身を引いた。

 (まるまる一か月間、安寿と過ごせるのか! 彼女も大学が夏休みだから、二十四時間ずっと一緒にいられるな)

 思わず航志朗はにんまりして頬を赤らめた。

 航志朗のだらしない表情を目の当たりにして、アンは両肩を上げて思った。

 (ひょっとして、おまえも父親になって帰って来たりして。まあ、九か月かかるけどさ。グッドラック、コーシ!)

 大学が夏季休暇に入った。安寿は自室のバルコニーで月を眺めていた。安寿は何回も読み返した手紙を持っている。航志朗がシンガポールに戻ってから二週間後に、ヴァイオレット・ウォンからお礼の手紙が送られてきた。フォトスタジオで撮影したらしい記念写真も同封されていた。総レースの白いロングドレスに包まれたふたりの赤ちゃんをそれぞれ胸に抱き椅子に座って微笑む夫婦の後ろに、航志朗が笑顔で立っていた。

 「アンさんとヴァイオレットさん。それから双子の赤ちゃんたち。それに、……航志朗さん」

 ヴァイオレットからの手紙はもちろんすべて英文だ。くせのある筆跡の可愛らしいアルファベットで綴られてあった。

 その手紙には「初めまして、アンジュ。二枚の美しい絵をありがとう。とてもとても嬉しい! 私、ずっとあなたに会いたいと思っているの。ベビーたちにも会ってもらいたいから、コーシとぜひシンガポールに来てね!」と書かれてあった。複雑な感情に見舞われたものの、やはり自分が描いた絵を喜んでもらえて安寿は心から嬉しく思った。

 そして、お礼の手紙とは別に長い文章の手紙が入っていた。その手紙の冒頭には、こう書かれてあった。

 こちらの手紙は、読み終わったらすぐに処分してください。それから、この手紙のことはコーシには内緒にしておいてください

 (また、航志朗さんに「秘密」が増えてしまう……)

 胸騒ぎを感じながら、安寿は、ヴァイオレットの「秘密の手紙」を読み始めた。

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