今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 朝食をとっている時にインターホンが鳴った。応答すると五嶋がまた食材の入った箱を持って来てくれた。今回は直接会わずに、五嶋は玄関ドアの前に箱を置いてそのまま去って行った。みずみずしい小玉スイカを食べ終わってから、安寿と航志朗が箱を取りに行くと、箱の上に上質な手漉き和紙で作られた封筒が置いてあった。LDKに戻りソファに並んで座って封筒を開けてみると、古閑家当主からの招待状だった。美しい書体で墨書きしてある。

 岸航志朗さま 安寿さま 

 初めまして この土地の風土をお気に召していただけましたら幸いでございます 

 さっそくですが、今週末の古閑家最後の晩餐会にご出席いただけますでしょうか 

 謹んでお会いできる時を楽しみにしております 

 古閑ルリ

 「古閑ルリさん……」

 安寿の脳裏に昨日森のなかで会った藍色の浴衣の女の姿が浮かんだ。

 航志朗がまた便箋に目を通して言った。

 「古閑ルリさんは古閑家の当主だ。アカネさんの姉で、日本画家をされている」

 「日本画家……」

 そうつぶやいてから安寿はまた思い出した。

 (そういえば、古閑さんてどこかで聞いたことがあるお名前)

 顎に手を当てて怪訝そうに航志朗が言った。

 「それにしても、この『最後の晩餐会』っていったいどういうことなんだろうな」

 「あの、航志朗さん。私、お願いがあります」

 深刻そうな表情を浮かべて安寿が言った。

 「ん?」

 「私、晩餐会なんて初めてでマナーを知らないし、どう振る舞ったらよいのかわかりません。それに、そのようなフォーマルな場に着て行く服がありません。こんな私が出席したら古閑さまに大変失礼になりますし、航志朗さんにご迷惑をおかけしてしまいます。ですから、お一人で行って来てください」

 ふっと肩を落として航志朗は微笑んだ。目を細めた航志朗は手を伸ばして安寿の髪をなでながら言った。

 「大丈夫だよ、安寿。一緒に行こう。この休暇中、俺は君とひとときも離れずにずっと一緒にいたいんだ。もちろん、君のトイレの時間以外は」

 安寿は目を大きく見開いてからうつむいて、航志朗に身を寄せた。航志朗は安寿の頬に手を触れながらまっすぐに安寿の目を見て言い聞かせるように言った。

 「安寿、君は、よく『こんな私』とか『私なんて』とか言うけれど、もう二度とそう口にするな。君は素晴らしいひとだ。そして、君のすべてが美しい。俺はそんな君を妻にできて本当に幸せだよ」

 急に安寿は立ち上がるとトイレに駆け込んだ。航志朗は眉間にしわを寄せて安寿を見送った。ふたをしたトイレの上に座って、安寿は涙を流しながら思った。

 (あんなに優しい言葉を言わないでほしい。いつか別れなければいけないのに)

 しばらくトイレにこもって思い出したように安寿は用を足した。表面的なやりきれない感情だけはトイレに流せた。洗面台で顔を洗うと、安寿は無理やり笑顔を作って鏡に映った自分に微笑んだ。安寿はLDKに戻って心配そうな表情を浮かべている航志朗に明るく言った。

 「航志朗さん、お買い物がてらドライブに連れて行ってください」

 航志朗は内心ほっとして言った。

 「……わかった。行こう」

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