今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第7節

 晩餐会の翌朝、キッチンで航志朗は安寿のためにお粥をつくっていた。午前十一時を過ぎたが、まだ安寿は起きてこない。

 朝起きてから航志朗は何回も安寿の様子を見に行った。仰向けになった安寿は胸の上で手を組んでずっと静かに目を閉じていた。その姿が一枚の絵画のように美しくて航志朗は胸をしめつけられた。そして、心の底から恐れを抱いた。

 (安寿、もちろん生きているよな……)

 航志朗は安寿の鼻に頬を寄せた。安寿のゆったりとした呼吸を感じて安堵する。朝からずっとその行為をくり返していた。

 正午を過ぎて航志朗は安寿の呼吸をまた確かめに行った。まだ安寿は眠っている。ベッドのすみに座って航志朗はため息をついた。振り返って安寿を見つめる。すると、安寿が目を開けた。安寿は航志朗に気づくと組んでいた手を外して手を伸ばした。すぐに航志朗は安寿の手を握った。

 「航志朗さん……」

 航志朗はほっと表情をゆるませて言った。

 「安寿……」

 かがんで安寿の頬に口づけると、安寿の髪をなでながら顔をのぞき込んだ。

 「具合はどうだ?」

 安寿は起き上がりながら言った。

 「大丈夫です。ご心配をおかけしてしまってごめんなさい」

 「いや、俺のほうが悪かった。君を俺の面倒な仕事に付き合わせてしまったな」

 ゆっくりと安寿は首を振った。ふたりは身を寄せて抱き合った。安寿は航志朗の肩に顔をうずめるとつぶやいた。

 「私、夢を見ました……」

 愛おしそうに航志朗は安寿の頬に顔をこすりつけながら尋ねた。

 「どんな夢だった?」

 「この部屋で女の人と男の人が抱き合っていました。でも、ふたりは愛し合っているようで、本当は愛し合っていなかった……」

 航志朗はその言葉に凍りついた。

 「そのふたりの姿を私はこの部屋のかたすみで見ていました。じっと暗く沈んだ瞳で」

 目を閉じて安寿は黙り込んだ。航志朗は胸が苦しくなったきた。

 (そのふたりって、もしかして俺たちのことなのか。そう、一度だって彼女は俺を「愛している」と言っていない)

 その闇に落ちるような想いを頭のなかから払い落とすように航志朗は首を振った。そして、無理やり気を取り直すと、航志朗は安寿の背中をなでながら言った。

 「安寿、お粥をつくったよ。よかったら食べる?」

 ぼんやりとした表情で安寿はうなずいた。

 お粥を温め直して器によそうと、航志朗はミネラルウォーターと一緒にベッドルームに運んだ。

 「今日は俺が君に食べさせてあげるよ。ほら、口を開けて」

 恥ずかしそうに安寿はうつむいた。見慣れた安寿の態度に航志朗は少しほっとした。

 「大丈夫です。自分で食べられますから」

 安寿は器とスプーンを受け取ろうとした。

 「いいから。ほら、安寿」

 航志朗はお粥をすくったスプーンを安寿の口の前に差し出した。遠慮がちに安寿はゆっくりとスプーンを口に入れてお粥を喉に通した。

 「……おいしい」

 「だろ? 車海老の頭で出汁をとったんだ」

 そう言うと航志朗は自分の口にもお粥を運んでにこっと笑った。

 「車海老?」

 「そう。今朝、五嶋さんが持って来てくれた箱に入っていたんだ。ものすごく立派な車海老だよ。あとで一緒に特大海老フライか天ぷらをつくろう、安寿」

 低い音で安寿のお腹が鳴った。あわてて両腕で腹を押さえて安寿は真っ赤になった。それを見た航志朗がくすくす笑うと、安寿は仏頂面をしてふくれた。また航志朗は安寿の口にお粥を運んだ。大げさに安寿は思いきり口を大きく開けてぱくっと口に入れた。すぐに安寿は催促するようにまた口を開けた。安寿の可愛らしいしぐさにほっと航志朗は胸をなでおろした。

 お粥を食べ終わると、安寿は白いリネンワンピースに着替えてバルコニーに出た。今日も真っ青な海の上に小さな森のような島々が浮かんでいるのが見える。

 (必ずこの風景をここにいるあいだに描こう)

 自然に安寿の右手は絵を描くように空中をなめらかに動いた。

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