今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 鍵本に水色のワンピースを託すと、安寿と航志朗はブティックの奥のカフェに向かった。カフェのスタッフに名乗ると一番奥のテラス席に案内された。テーブルの上には「RESERVED 予約席」のサインプレートがのっていた。もちろんランチも予約済みだった。
 
 そこには都心のビルの七階とは思えない風景が広がっていた。生き生きとした植栽がまわりの無機質なビルディング群を隠して、まるで森のなかにいるようだ。洗練された野菜のフルコース料理が次々に運ばれてきた。ゆっくりとおいしそうに口にする安寿を見つめて、航志朗はにっこり笑った。食後のデザートの豆乳のホイップクリームを使っているというメロンのトライフルケーキを食べながら、航志朗は安寿に尋ねた。

 「久しぶりの外出でそろそろ疲れてきたんじゃないか。デザートを食べ終わったら家に帰ろうか、安寿?」

 紅茶をひと口飲んで安寿が言った。

 「あの、航志朗さん。私、本屋さんに行きたいんですけど」

 「わかった。少し歩いたところに大型のブックストアがあったと思う」

 スマートフォンを取り出して航志朗はマップを確認した。

 カフェを出てブティックに戻ると、花柄の可愛らしい箱の中に先程のワンピースがラッピングされていた。安寿に何も言わずに航志朗はオリーブグリーンのミニバッグを壁から外すと「これも一緒にお願いします」と言って鍵本に手渡した。鍵本は箱と同じデザインの不織布の袋に包んだ。安寿はそのバッグだけでも自分で支払おうと黒革のショルダーバッグを開けようとしたが、スマートに航志朗に止められた。

 帰り際に航志朗は鍵本に言った。

 「いろいろとありがとうございました。またよろしくお願いします、鍵本さん」

 微笑んだ鍵本は丁寧にお辞儀をすると「次回ご来店される時は、デザイナーに声をかけておきます」と言った。航志朗は驚嘆した表情を浮かべた安寿に向かって笑いかけた。

 花柄の大きな紙袋を肩に掛けて航志朗は安寿の手を握って歩き出した。十分ほどで大きなガラス張りの書店に着いた。まっすぐに安寿は雑誌コーナーに向かったが、目当ての本が見つからなかった。

 「何の本を探しているんだ、安寿?」

 「美術舎出版の月刊誌です。最新号に優仁さんが寄稿されていると、恵ちゃんからメールがあったんです」

 「へえ、そうなんだ。ぜひ俺も読みたいな」

 書店員に尋ねるとアートの専門書コーナーにあると言われて、安寿と航志朗はエスカレーターで三階に上がった。すぐに平積みになっていたその美術月刊誌を見つけた。レジカウンターに向かう途中で、ふと安寿は絵本コーナーで立ち止まった。さまざまな和書や洋書の絵本が色とりどりに並んでいる。心のおもむくままに絵本を手に取って次から次へと眺める安寿の楽しそうな横顔を、航志朗はほっとしたように見つめた。

 「安寿、気に入った絵本はあった?」

 我に返った安寿は何も答えずに絵本を棚にそっと戻した。

 「月刊誌と一緒に買おう。君が気に入ったのは、これと、これと、……これだな。当たりだろ、安寿?」

 (どうしてわかるの……)

 驚いた顔をして安寿は航志朗を見上げた。得意げな表情で航志朗は雑誌と三冊の絵本を持って、さっさとレジカウンターに向かった。あわてて安寿も航志朗の後を追った。

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