今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 安寿は顔を上げて航志朗の目を見つめた。今もその琥珀色の瞳には自分の姿が映っている。航志朗を愛する自分のありのままの姿だ。吸い寄せられるように安寿は航志朗の顔に手を触れた。航志朗はその手をしっかりと握った。

 「航志朗さん、私……」

 航志朗は頼りなげな声をあげた安寿を見つめてうなずいた。

 「私、自分を見るのが怖いの、ものすごく。自分がいったい誰なのか、ぜんぜんわからないから」

 航志朗はしっかりと安寿を抱きしめて言った。

 「大丈夫だよ、安寿。君は岸安寿だ。今もこれからもずっと。君は夫の俺だけを見ていればいい」

 安寿は航志朗にきつくしがみついた。航志朗の匂いと温もりに心は満たされるが、身体の方はもっともっと航志朗が欲しくなる。安寿の自分への渇望をありありと感じ取って、航志朗は身も心ももだえた。安寿は航志朗の琥珀色の瞳を見て、目を細めながら懇願するように言った。

 「キスして、航志朗さん」

 ごく軽く航志朗は安寿の唇に触れた。いたずらっぽく笑って、航志朗は言った。

 「これでいいか、安寿?」

 「……だめ」と安寿は小さな甘い声で言うと、身を乗り出して航志朗にキスした。すぐにふたりは激しく口づけし合った。息を荒げて互いの身体にしがみつく。

 「航志朗さん、……航志朗さん!」

 安寿は何回も航志朗の名前を叫ぶように呼びかけた。その切ない声に身体じゅうを奮い立たせた航志朗が安寿のパジャマのボタンに手をかけた。安寿はその手を押さえて震える声で言った。

 「それは、だめ」

 「……わかった、安寿」

 一瞬ふたりは目を合わせると、またむさぼるように互いの唇を求め合った。安寿はわかっている。切実に航志朗が自分の身体を求めていることも、自分が航志朗の身体をどうしようもなく求めていることも。でも、それはできない。どこかで失くしてしまった本当の自分を見つけるまでは。今、情欲に流されてそれをしたら、もろい私の心と身体はきっとばらばらに離れてしまうだろう、取り返しがつかないくらいに。

 やがて、空腹を覚えたふたりは、冷蔵庫の中にしまっておいた重箱を持って来て、昨晩の残り物をソファに座って手づかみで食べた。安寿がつまんだレンコンの煮物を横から航志朗が安寿の指ごと口に入れて、航志朗が食べかけたいなり寿司に安寿がかじりついた。ふたりは互いの行儀の悪さにくすくす肩を震わせて笑った。少しでも唇が()くとすかさず唇を重ねた。ミネラルウォーターもボトルのまま回し飲みした。

 まだパジャマのままの安寿と航志朗はソファの上で抱き合った。刻一刻と時間が過ぎていくのを感じる。突然、安寿が大声をあげて泣き出した。もう我慢という概念が、安寿の頭のなかから吹き飛んでいた。航志朗はありのままの安寿の激しい態度に身も心も高ぶらせた。とめどなくあふれ出てくる涙を安寿は航志朗の胸でぬぐった。航志朗は涙で濡れた安寿の顔を持ち上げると顔を落として唇をまた押しつけた。ソファの上で全身をからめ合ってふたりは唇を重ねた。

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