今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 大荷物を抱えたふたりは早足にマンションに向かった。安寿も航志朗も胸の高鳴りを抑えられない。部屋に入ると航志朗はすぐにエアコンをつけてバスタブに熱い湯を張った。

 先に航志朗をバスルームに行かせてから、安寿はいつもよりもずっと重い風呂敷包みをダイニングテーブルの上で開けた。中には真新しい大きなスープジャーが二つといつもの重箱、それに外国製のクラッカーとチョコレートの箱が入っていた。キッチンに立って安寿はやかんで湯を沸かしはじめた。部屋がだんだん暖かくなってきて人心地がつくと、また安寿は胸の奥が苦しくなってきた。

 (もしかしたら、この休暇が、航志朗さんと一緒に過ごせる最後の日々になるのかもしれない)

 「……安寿?」

 突然、後ろから航志朗に声をかけられた。

 肩をびくっとさせてあわてて安寿が振り返った。タオルで濡れた髪を拭きながら後ろに立っている航志朗がガステーブルを指さして言った。

 「安寿、やかんが沸騰しているけど?」

 振り返ってやかんを見ると、いつのまにか勢いよく湯気の柱を噴き上げてかたかたと音を立てている。「俺がやるよ」と言って、航志朗は卓上ポットに熱湯を注いだ。

 ほうじ茶を淹れて、ふたりは咲が用意してくれた夕食をとった。スープジャーの中身は根菜がたくさん入ったポトフだった。ちょうどよい温かさだ。お腹が空いていたふたりはそのままスプーンですくって食べた。

 食後に安寿はバスルームに行った。ゆっくりとバスタブに浸かる。湯気で曇った天井を見上げると、安寿はやるせない気持ちになってため息をついた。

 (やっとまた航志朗さんと一緒にいられる時間がやって来て、嬉しくてたまらない。本当に、本当に、心から嬉しいのに……。あらかじめ決められた別れの時がもうすぐやって来るんだ。ずっとこの寒い冬が続くといいのに。温かい春なんて来なくていい)

 髪を乾かしてから安寿はリビングルームに戻った。そこに航志朗の姿はなかった。安寿はソファに座って岸家を出た後のことを具体的に考えようとしたが、嫌々をするように頭をふってやめた。

 (今は彼との最後の時間を大切にしよう。とにかく今しかないんだから)

 ふと時計を見ると午後九時になっていた。その時、黒革のショルダーバッグに入れたままの安寿のスマートフォンのメロディーが鳴り出した。

 (こんな時間に誰からだろう……)

 ショルダーバッグの中からスマートフォンを取り出して画面を見ると、思わず安寿はくすっと微笑んだ。

 『安寿、今日も元気だったか?』

 航志朗からだった。

 くすくす笑いながら安寿は答えた。

 「ええ、とても元気でしたよ。それにしても、航志朗さんは、今、どこにいるんですか?」

 『二階のベッドルームだ。さっきからずっと君のことを待っている。早くここにおいで、安寿』

 「はい。今すぐ行きますね」 

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