今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 バスルームを出ると、安寿と航志朗はベッドに横になった。ふたりとも熱いくらいに身体が温まっていて、冷たかったベッドはすぐに温かくなった。一つの布団の中で自然とふたりは抱き合った。

 もうすぐ年が明ける。懇願するように航志朗が尋ねた。

 「安寿。今、君にキスしていいか?」

 安寿は小さくうなずいて目を閉じて顔を上げた。その素直なしぐさに思わず微笑みながら航志朗が言った。

 「目を開けて俺を見てほしい、安寿」

 ゆっくりと安寿は目を開けて、航志朗の琥珀色の瞳を見つめた。月明かりに照らされてその瞳は金色に光っている。

 安寿は目を細めて言った。

 「航志朗さん、本当にありがとう……」

 その言葉に航志朗は胸が詰まった。なぜか頭のかたすみでわけのわからない恐れを感じた。それを打ち消すかのように、航志朗は安寿をきつく抱きしめて唇を重ねた。たまらずに航志朗は安寿の名前を何度も呼んだ。航志朗に名前を呼ばれるたびに、安寿は心の奥底からじわじわと哀しみがわきあがってくる。涙が出そうになるのをなんとか抑えて安寿は訊いた。

 「今、何時ですか?」

 手を伸ばしてスマートフォンを取ってから、航志朗が答えた。

 「十二時八分だ」

 「年が明けましたね」

 「そうだな。明けましておめでとう、安寿」

 「明けましておめでとうございます、航志朗さん」

 安寿は微笑を浮かべて言った。

 「新年のあいさつをしたのに、これから眠りにつくのって、なんだか変な感じ」

 「確かに君の言う通りだ」

 急に眠気を感じて大きなあくびをした安寿は航志朗にしがみついて言った。

 「航志朗さん、朝までこうしていていい?」

 「もちろんいいよ。朝までじゃなくて、ずっとこうしていていい」

 安寿はうなずくと目を閉じた。航志朗は安寿の髪を優しくなでた。やがて、安寿の穏やかな寝息が聞こえてきた。安寿の無垢な寝顔を見つめて航志朗は心に誓った。

 (今年こそ、仕事の拠点を日本に移す。……安寿と一緒に暮らすために)

 新鮮な明るい日差しが差し込んできた。元日の朝がやって来た。航志朗が目覚めると、安寿が自分の胸に顔をうずめているのが心が震えるほどに嬉しくて、安寿の額に何度もキスして起こしてしまった。くすぐったそうに安寿は肩をすくませると航志朗を見上げて微笑んだ。
 
 「おはよう、安寿」

 「おはようございます、航志朗さん」

 まぶしそうに安寿はカーテンのすき間で輝く朝の光を見ると、きゅるると軽い音がした腹を押さえて可愛らしく言った。

 「私、お腹が空いちゃった」

 「俺もだ。さっそく咲さんのおせち料理をいただこうか」

 安寿は顔をほころばせてうなずいた。

 安寿と航志朗は着替えてリビングルームに行った。見慣れた輪島塗の重箱を開けるといつにも増して美しいおせち料理が並んでいた。毎回同じことを思うが、手をつけるのがもったいない。

 「きれい。咲さんの手料理っておいしいだけじゃなくて、見た目もとても美しいですね」

 「本当にそうだな。ぜんぜん子どもの頃は気がつかなかった。当たり前のように口にしてきて、咲さんに申しわけなかったな。伊藤さんと咲さんには子どもの頃から、本当に世話になってきたんだ。あのふたりには、どんなに感謝してもしたりないよ」

 安寿は航志朗の言葉に寂しげな微笑を浮かべながら思った。

 (私も本当にそう思う。航志朗さんと離婚したら、咲さんの手料理を食べられなくなってしまうんだ)

 安寿は柔らかい光をおびた重箱を黙って見つめた。

 (咲さんのおせち料理をいただくのも、これが最後……)

 その時、航志朗のスマートフォンの着信音が短く鳴った。思わず航志朗は顔をしかめて思った。

 (元旦からなんのメールだよ、まったく!)

 気を利かせて安寿が言った。

 「航志朗さん、どうぞ見てください。急なご用事だといけないので」

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