月は笑う
目覚まし時計が鳴る少し前に目を覚まして、歩美はベッドの上でのびをする。
朝早く起きたから、時間もたっぷりある。
朝食を食べようとしても、残念ながら、最近の荒れた生活が災いして、冷蔵庫の中は空だった。

昨晩調子にのって、バスタブの中でローションパックまでしたおかげか、肌の調子は上々だ。メイクののりもいい。

いつもより30分以上早く家を出た。早い電車はすいていて、空席を見つけることができた。

会社の近くには、朝早くからオープンしているカフェが何軒かある。
歩美が入ったのは、そのうちの一軒だった。

注文を済ませ、窓際の席に座る。
いつもばたばたと走り抜ける道を眺めながら食べる朝食は、格別だった。

帰り際、会計をしようとすると、


「よかったらお持ちください」


一枚の紙を手渡された。

店の住所のかかれたカード。店を出てから裏返すと、慌てて書いたらしいメッセージとメールアドレスがあった。

『よかったら連絡ください』


これをくれたのはどう見てもだいぶ年下の男の子。

──からかわれているなあ。

とおりすがりのごみ箱に、カードをほうり込もうとして、手が止まる。

まさか、ね。

ひとまずカードは財布に挟み込んだ。

向こうから、ベビーカーを押した若い母親と、その脇をちょこちょこしている、二歳くらいの男の子が歩いてくる。

歩美を見るなり、男の子は勢いよく駆け出し、歩美の足に抱き着いた。

「す、すみません!だめでしょう」

足からひきはがされ、泣き声をあげた男の子をひきずるようにして、母親は頭をさげながら急ぎ足に離れていく。

──異性であれば、年齢は問わないんだっけ?

昨夜の綾子の言葉がよみがえる。

まさか、ね。

風でまいあげられた落ち葉が、歩美の前で渦をまいた。

一枚の紙が飛んできたのに気づいて、思わず拾いあげる。

どこかの会社の書類らしい。


「あ、ありがとうございます!」


書類の後を追いかけてきたのは、中年の男。

礼をいいながら、書類を受け取る。歩美の顔をじっと見て、


「お礼にお茶でも……?」

「いえ、仕事に行かなければいけないので」


慌てて歩美は、男の話をうちきった。

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