転生したら病弱乙女、このたびは竜騎士さまに溺愛されることになりました。

こころのひ







次にリアンが目を覚ましたのは、あの日から二日後だった。



傍にいたテイルーは困ったような顔で、良かったと言いながら笑った。

体を起こすのを手伝ってもらい、水を飲ませてもらう。
掠れた声で迷惑をかけたことを詫びると、テイルーはリアンの頬をぐいと摘んだ。

「こうなると分かって行ったんでしょ? 私も分かってて行かせたの。あやまる必要はないのよ」
「こうなるって?」
「……リアン?」
「なに?」
「……お腹空いたでしょう? 二日も寝たまんまだったから……スープ持ってきてあげようね」

体の横でだらりとしたリアンの手を、テイルーはぐっと一度握って、持っていた水の入った器をリアンに持たせた。

倒してこぼしてしまわないように、リアンはその手に力を入れる。
思うようにならない萎えた手の先に気合を入れて、集中した。

水を飲もうとそろそろと持ち上げて、ゆっくりと器を口に当てた。
自分の体が思うように動くまでは、集中していないと、余計な心配と迷惑をかけることになる。

見守ってから、テイルーは静かに頷いた。

「じゃあ、ちょっと待っててね」
「ありがとう。テイルー、兄さんは?」
「呼んできてあげる……あ、でも」
「なに?」
「びっくりしないでね……あれでもマシになった方だから」
「うん? ……うん」

テイルーが何のことを言っているのか分からないまま、ただびっくりしなければいいんだなとそれだけ心に留めた。

寝ている間に何かあったのかも知れない。

私のせいで気分が落ち込んでいるのだろうか。何か無理でもしたんじゃないだろうか。

そもそもなんで、二日も寝込む羽目に。
最近は体調に気を付けて、それなりにしていたはずなのに。
部屋で大人しくしていろと言われたから、だからそうして……

「……あ…………あれ?」

真っ白に霧が立ち込めていたような意識に、嵐のような強い風が巻き起こり、一気に靄が吹き飛んで、視界が急に開けた感じがする。

「あれ?……まっ……て……」

頭の中で『寝込んでしまう前の出来事』と『ちょっと待って』がぐるぐる回って渦を巻く。

力の抜けた手から、ぽろりと何かが離れる感覚で、はと意識を手に戻した。

その時にはもう遅く、倒れた器から水がこぼれて腿のあたりを濡らしている。

「わぁ……しまった……」

自分では最速で動いているはずなのに、掛け布に水が吸い込まれていくのを、もたもたと撫でているだけだった。

「ちょっと……待って……え? ……あれ?」

色々あって、そりゃもう死ぬ気で過ごした一日を思い出した。
そして最後の最後に人の優しさに甘えて縋ったことも。

ものすごく弱みを晒して、ものすごく甘えたことを言った気がする。
気がするんじゃなくて、言った。
確実に言った。

「た……たいへん……たいへんだ……」

羞恥で顔に熱が集まってくるのを感じて、あわあわしながら両手で顔を覆う。

そこからまる二日寝込んだという事態が、自分の不出来ぶりが、さらに羞恥を煽っている。




跳ね返るほどの勢いで扉を開いて部屋にやってきたディディエは、リアンを見た途端、血相を変えて駆け寄ってきた。

「リアン! どうした、どこか苦しいのか?!」

背中を優しく撫でている大きな手で、やっと心が落ち着く。

リアンは顔を覆っていた手をそっと外して、枕元の椅子に腰掛け、身を乗り出しているディディエを見た。

驚くなと言った意味が分かって、言ってもらっていて良かったと思う。
これは知らなければかなり驚いていたことだろう。

「……兄さんこそ、どうしたの、それ」

左目の瞼は腫れあがって、ほとんど見えていない状態と想像がつく。
眉の上が切れて、乾ききってない、生々しい色のかさぶたができている。
右側の顎も切れ、すぐその上の唇も紫色に膨らんで、ちょっと触ればぷちっと弾けてしまいそうだ。

狩りで怪我をしたなら、顔だけではなく、もっと全身あちこちに傷ができるし、骨の一本や二本は折れてもおかしくない。
こんなものでは済まないはずだ。
どうも怪我をしているのは顔だけに見える。

だとすると相手は竜ではなく、人だということになる。が、自分の腕っ節の強さを理解している兄は、滅多に人と喧嘩をしない。
珍しく喧嘩することはあっても、ここまで傷をもらったのを見たことがない。

もしかして、とリアンの手が震えだす。

「あ…………ドニス? と、ケンカした?」
「…………ケンカじゃない」

どくどく騒がしく動く心臓の上を、リアンは拳で叩いた。
萎えた手ではぱすぱすと音がしただけで、ちっとも刺激にならない。

胸の上に置いた手が、痺れたようで、ぶるぶると震えている。

あれは本気で、アドニスは本当に話をしたのか。

リアンは気を確かにしろと自分に言い聞かせた。

「なに……か、はなしを……した?」
「…………してない」

ものすごく目をそらしているディディエが、嘘を吐いているのはすぐに分かった。

「わたし、アドニスのところに……」
「リアン!」
「はい!」
「………………もっと、ゆっくり考えろ」
「……兄さん?」
「…………きちんと考えて、それから答えを出せ」
「はい、よくできました」

声のする方に兄妹ふたりともが目をやった。
テイルーが扉のところでお盆を持って立っている。
にやにやと笑ってディディエを見ていた。

真っ赤な顔でくそーっと大きく叫んで、ディディエは両手で髪の毛を引き毟らん勢いでがしがしと指を動かしている。
どこか傷に触ったのか、痛ててと言って急に大人しく縮こまる。

テイルーはそんなディディエにお盆を押し付けると、膝の辺りで転がっている器を取り上げ、てきぱきと濡れてしまった上掛けを取り替える。

水をこぼしてしまった恥ずかしさを感じさせない早業だった。

それからリアンの膝にそっとお盆を乗せる。

「さぁ、全部じゃなくていいから、ゆっくり食べてね」
「……ありがとう。テイルー」

枕元の椅子に座っていたディディエをとんと押して退かせると、テイルーは自分がその椅子に座った。

「店がめちゃくちゃになったのよねー」
「え?……ええ?」
「騒ぎを止めに入ったみんなもどこかしらケガするし」
「そうなの?」
「ひとりで怒って、一方的にケンカ仕掛けてて、ものすごく格好悪いったらなかった」

リアンはぶすくれた顔でそっぽを向いているディディエを見上げた。

「まぁ、理由はどうあれかわいい妹の為に、あそこまで怒れるのは素敵だとも思ったけど」

小さくため息をこぼしたテイルーが、膝の上で頬杖をついて、横目でディディエを見上げている。
ちらりと目が合うと、ディディエはさらに耳まで真っ赤になった。

「でもそれとこれは別だから!! 店は滅茶苦茶だから、修理が終わるまでしばらく開けられないし、みんな怪我してるから狩りにはいけないし!! ほんともう、どうしてくれるの?!」
「…………すみません……」
「みんなを養っている自覚をもっと持ってよ!!」
「はい……ほんとごめんなさい」
「リアンの前だけではいい子になるんだから!!」
「そんなこと……」
「ホント大変だったのよ、リアン。イライラしてみんなに当たり散らして」
「そんなことない!」
「なに? もう一回言ってみて?」
「…………本当に申し訳ありませんでした」

ディディエとテイルーのやり取りが面白くて、つい笑って見ていると、テイルーはリアンの手にスプーンを持たせた。

「さ、ほら。リアンは食べて、元気を出さなきゃ」
「……うん」

煮崩れて小さくなった野菜を口に入れて少しずつ飲み込んでいく。
寝込んだ後はしばらくこの食事だ。

ものすごく薄味になっている分、野菜の味を強く感じる。

兄妹の母がテイルーに伝えた料理のうちのひとつだ。

「……どう?」
「…………薄い」
「よしよし。上出来ってことね」
「いつものがいい……」
「なら早く元気にならないとね」

今まで何度となく同じやり取りをしてきた。

明日は普通の食事を! と意気込んで、リアンはせっせと器の中身を減らしていく。



「……そうだ。兄さん、シイはどうなったの? 見つかった?」
「……ああ。……朝方にな。チタが見つけた」

方々飛び回って探したが、結局シイは最初に落ちていった森の中の、拓けた場所に戻っていた。

チタにもディディエに対しても、怒りも怯えもなく、大人しい態度だった。

連れ帰ろうと近付いて、手綱を取ろうと手を出したとき、シイの首の後ろに血が貼り付いているのを見た。
思い出して、ディディエは一瞬顔を歪める。

目線を上げると、リアンは膝に乗った皿を見ていた。
今の顔を見られなくて良かったとほっとして、気付かれないようにゆっくりと息を吐き出す。

「……そっか。良かった……いい子にしてた?」
「ん……特に嫌がったりせずに付いてきた」
「厩舎にいるの?」
「リアン」
「うん? なに?」
「シイは、その……もう行った」
「行った?」
「あいつ……アドニスが、連れて帰った」
「え? あ……そ……そうなんだ……なんだ。連れて……行かれちゃったんだね……顔が見たかったんだけど……そっか……」

スプーンを持ち上げていた手がお皿まで下がり、リアンは明らかに気落ちした表情になる。
顔も下を向き、肩も下がって、そのまま力なく倒れてしまいそうだった。

その様子にディディエが狼狽してあわあわしだした。



はあとこれ見よがしに大きくため息を吐き出して、テイルーは吐き出した倍以上に息を吸い込んだ。

「あぁぁぁ!! もうっ!! なんでそういつも言葉が足らないかなぁぁぁ!!」
「テイルー?!」
「鈍い!! 鈍すぎる!! 乙女のキモチをもっと理解しようとしなさいよ!!」
「……おとめ、の?」
「リアンもこれからは遠回しにじゃなくて、ちゃんと聞きたいことを聞きなさい!! ね? いい? アドニスが帰ったのは、どうしてもしなきゃいけない仕事ができたからなの!」
「……え? あいつのこと聞きたかったの?」
「鈍い!! 黙ってて!!」
「はい!」

テイルーの勢いに、ディディエはびしりと姿勢を正した。

こういうところが素直でかわいいと思いながら、テイルーは気持ちを落ち着けて話を続ける。

「……あのね、リアン。仕事を片付けたら、絶対に迎えに来るからって。早く元気になって、それまで待っててほしいって」
「おい、まだ決まってもな…………すみません」

鋭い眼光で睨まれたディディエは、もう一度背筋を伸ばした。

「リアンがどうしたいか、返事はその時でいいって。それまでに考えておいて欲しいって」

ふふと笑ったテイルーが、リアンの頬をふにふにと摘む。

にこにことしたふたりに見守られて、リアンはゆっくりと食事をした。
お腹がいっぱいになったのを見計らって、テイルーはお盆を持ち上げる。
ごねるディディエと一緒に部屋を出て行った。






『何かしたいことはなかったのか』とアドニスは言った。
無いと答えたら『何がしたい』のかと聞いた。


今だけじゃなく、これから先のこと。

考えてもいいのかなと、リアンの心に灯りがともる。






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