蕾の恋〜その花の蜜に溺れる〜




「いや・・・礼には及びません」



久しぶりに聞いた大ちゃんの声は
低い大人の声に変わっていた


「なんだ〜お前ら、やけに他人行儀じゃねえか?
あ、あれか?喧嘩中か?
若いもんは色々忙しくていかんな
もう大丈夫だ、帰って良いぞ
嬢ちゃんは、気になることがあれば
またおいで」


さっきとは別人のような橘院長の態度に驚いているうちに
当の本人は大笑いで岡部さんを連れて出て行ってしまった



「・・・っ」



・・・・・・困る


・・・・・・・・・困る



大ちゃんと二人で残されても
どうして良いのか分からない


『礼には及びません』
昔とは違う口調だったんだ

大ちゃんだって私なんかと関わりたくないはず

心配していると聞いたけれど

それは道端で倒れた人を見れば
誰だって心配するはずで

私に対して特別な感情を持っている訳ではない


自己完結するように頭の中を整理して
一度大きく深呼吸する

ベッドの下に靴が置いてあるのを確認すると
制服の裾を気にしながらベッドを降りた


少し手で払ってプリーツを直して
ソファに置かれている帽子を被り鞄を持った

揺れる感情を抑えるように
お腹に力を入れながらゆっくりと扉へ視線を向けた


出来れば大ちゃんには近づきたくない


けれども

入り口に立ったままだから
そこを通らないことには帰れない

一度覚悟を決めて立ち止まり
ゆっくり頭を下げた


「本当にありがとうございました」


これまで気が遠くなるほど練習したはずの
淑女の基本のお辞儀が
大ちゃんに近付いたことで起こった身体の震えでブレる

それを誤魔化すように
俯いたまま通り抜けようとした刹那


「蓮」


間近に聞こえた低い声に
電流が走ったかのように震えた身体は
ピタリと動けなくなった




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