呉服屋王子と練り切り姫

甚八さんの部屋

 通勤時、いつも横目に見ながら歩いていた建物の中に、初めて足を踏み入れた。私はキョロキョロとしながら、そのゴージャスな入り口を改めて見回す。きらびやかなシャンデリアの揺れる玄関、その下に置かれたのは庶民には座ることもはばかれるアンティーク調のソファ。値段なんて分からないけれど、きっとすごくお高いものなのだろう。

「加倉山様、お帰りなさいませ。お荷物が2件、届いております」
「ああ、ところで……」

 私が入り口に立ち尽くしていると、彼はコンシェルジュと話こんでしまった。
 噂には聞いていたものの、そのラグジュアリーなもてなしにど庶民の私はついていけない。これが、24時間常駐コンシェルジュ付のベリーヒルズビレッジ唯一のコンドミニアム的レジデンス………。何でこんなところに住んでるんですか? お坊ちゃまなんですか? ああ、お坊ちゃまなんでしたね、「甚八お兄様」なんでしたね。
 脳内でうるさく審議していると、バツの悪そうな顔をして彼が帰ってきた。

「あの、な……」
「は、はい! なんでしょう!」
「ゲストルーム、今日埋まってるんだそうだ」
「………はい?」
「ホテルの方は、ゲーン夫妻宿泊にあたり厳重警戒態勢が敷かれて、関係者以外宿泊不可。そのおかげで、いつもはホテルに泊まるここの住人の友人が、ゲストルームをこぞって予約したらしい」
「じゃあ、私はホテルに泊めてもらいます……ゲーン夫妻なら私のこと泊めてくださるので……」
「いや、それは無理だ。お前、俺のフィアンセだと思われてんだぞ。下手にお前だけホテルに泊まらせるなんて、何言われるか分からん」
「じゃあ私は宿無しほういちですか! 嫌ですそんなの! タクシー拾って……」
「はぁ……仕方ねえ。俺の部屋泊まれ。特別だぞ」

 甚八さんはそう言うと、いつものようにくるっと向きを変えてスタスタ行ってしまう。

「ま、ま、待ってください~」

 私は慌ててエレベータホールに消えていく背中を追いかけた。
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