呉服屋王子と練り切り姫

ニセモノのフィアンセ

 甚八さんはあの日、大事な接待だったらしい。帰宅後、私の料理を見て食してくれたが、温めるという発想がなかったのか、「冷たかった」とただ一言そう言った。それで、甚八さん外で食べてくる日はメモを残してくれるようになった。

「お前の手料理、無駄にしてしまうのは惜しいからな」

 甚八さんはそう言った。

 彼の部屋の片づけも大方片付いたある日の休日、私は甚八さんに言われてスーツに身を包んだ。もちろん、甚八さんもスーツを着ている。大柄で足も長く、スタイルのいい甚八さんはスーツ姿もよく似合う。

「行くぞ。東丸宮商事のお偉いさんがお前に会いたいそうだ」
「え、東丸宮商事って……」
「ゲーン夫妻の取引先だ。お前に礼がしたいそうだ」

 甚八さんに連れてこられたのは、ショッピングモールからほど近いベリーヒルズビレッジ内のオフィス上階3フロアを占める東丸宮商事の社長室。
 私がなぜここに……胃が、胃がぁ。
 キリキリと痛む胃を抑えると、ほどなくして社長室のドアが開いた。

「久しぶりだな、甚八」
「ああ、対面するのはしばらくだな」
「そちらが、例の女神?」

 向けられた視線に息を飲んだ。甚八さんより少し年上であろう彼は、大人の色気を醸し出している。見られているだけなのに、熱い。甚八さんとは全くタイプの違うイケメンといった具合だ。

「初めまして、わが社の幸運の女神様。キミのおかげで、わが社の業績はうなぎのぼりだ。ありがとう」
「は、はい?」

私が戸惑っていると、彼は私の目の前で跪き軽く手をとってその甲にキスを落とした。

「僕の名前は東丸宮(ひがしまるみや)陽臣(はるおみ)。甚八とは兄弟のような関係なんだ。よろしくね、ニセモノさん」
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