呉服屋王子と練り切り姫
「陽臣って呼んで」

 私が彼のことを社長、と呼んだところで、彼はそう言った。

「キミ、甚八のところに住んでるんでしょう?」

 甚八さんだけが出て行った社長室で、陽臣さんは私に試すような視線を投げる。私がキッと睨み返すと、彼は「ははっ」と笑った。

「別に試しているわけじゃないよ。ただ、これから一緒になる人のことだから、少し調べさせてもらっただけ」

 陽臣さんは先ほどまで甚八さんの座っていた私の隣に腰を下ろした。

「俺の部屋は甚八の上の上の上の階。近くてよかったね、引っ越しが楽だ」

 陽臣さんはそう言うと、腕時計をちらっと見やった。

「おっと、俺はもう行かないと。キミ、これあげるからおとなしく僕の部屋で待っててね」

 陽臣さんは私にカードを握らせ、そそくさと社長室を出て行った。何も言えずに私はただ茫然と掌の中にのこったそれを見る。それは、甚八さんからもらったのと同じデザインの、彼の部屋のカードキーだった。
< 60 / 92 >

この作品をシェア

pagetop