極上の餌

「先生、本日は拙い進行にもかかわらず、ありがとうございました。お陰様でお客様も大変喜んでらっしゃいました」

女豹の笑みで、俺の手に触れながら紙の束を手渡した。

「こちらは終演後のアンケートです。回収率は9割近くでした。本当に、広橋先生のファンの方たちは熱心でらっしゃいますね……」

営業用のトーンの声は途中から部屋の中の彼女へ向けられ、冷たく変化した。

「何かお困りごとがありましたら、私、お手伝いいたしますが?」

吉田の声の変化でようやくS新聞社の二人は彼女の存在に気が付いた。

「あ、ああ、あのお客様は……」

会場で唯一、挙手して質問した彼女を、熱心なファンが押し掛けてきたのかと思ったに違いない。

彼女はどうしたらいいのかうろたえている。



彼女自身には何の落ち度もなく、ただ、俺に連れてこられただけなのに。

あんなに大勢の前で質問をする、なんてできるのに、うろたえ、困り顔の彼女。


つくづく、俺は彼女を困らせるのが得意らしい。







「彼女は俺の婚約者です」





「は、はあ!?」


ひとり素っ頓狂な声を上げたのは吉田。

おーい、巣に戻ってるぞ、猫かぶりの名司会者さん。


オッサン二人は、ああそうですか、とにこやかにお祝いムードを漂わせて笑んでいる。



ひとり焦った風の吉田だけが、

「先生、でも、彼女は先生に質問した女性ですよね?」

納得できていない。



そして彼女も、何を言ったらいいのか、何も言わないがいいのか、困惑している。



「お恥ずかし話ですが、僕、ちょっと、あがり症なんです。だから、彼女に近くにいて欲しくて」

「ほおぉ、そんな風には見えませんでしたが、広橋先生でも緊張されるんですか」

幹部が読者同様、疑似息子のように俺の告白に笑っている。

「最前列に関係者が座っちゃ、まずかったですよね? すみません」

「仰ってくだされば一番いい席をご用意しましたのに。こちらこそ、気づきませんで申し訳ない」

豪快に笑う幹部に文芸部長も頭を下げた。

が、そんな話で吉田は納得せず、

「では、なぜ質問などを?」

俺ではなく彼女に問いかける。


「あ、あの……」


俺は部屋の奥まで行って、絶句する彼女の肩を抱く。


「レクリエーションですよ。他愛もない」

「レクリエーション?」

「そう、レクリエーション。婚約期間中のちょっとした思い出作り」

吉田ひとりが眉をひそめるが、オッサン二人は何をどう納得したのか、ほうほうなんて言いながらニヤニヤ冷やかすように笑っている。


「そうなんですか?」

吉田が再び俺ではなく彼女に尋ねる。


腕の中の彼女は、吉田の問いに、吉田ではなく俺を見上げた。

その目は、うろたえながらも、さっきとは少し違っていた。

グロスなど塗らなくてもぷるんと艶のある唇が僅かに開いて、そして、その瞳が頷いた。


「はい、レクリエーションです」

ハッキリと答える。

「本当に?」

「はい、私の質問が進行のお邪魔だったなら、申し訳ありませんでした」

「そ、そんなこと……!」

女豹と小動物の対峙だが、意外にも小動物が女豹のプライドを突いている。


「ほ、本当に、広橋先生の婚約者でらっしゃるの?」

どうしてそこまで初対面の吉田にしつこくされなきゃならないのか、と腹立たしいが、そのくどい質問に、彼女の抱いた肩から力がストンと抜け、俺の胸に頭をストンと落として寄り添った。



「婚約者、です」


吉田に言ったあと、俺を見上げる彼女の困り顔が可愛らしくて。



今すぐにでも抱きしめてしまいたい!



俺が溢れ出す男の衝動を、さすが同性というものかS新聞社の二人は察してさっさと退散しようと吉田を促す。

対して吉田は渋々それについて部屋を出て行った。






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