氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
 この日、綾は遅番だった。閉店作業を終えて鍵をショッピングモールの管理センターに返しに行く。
 今日はこのまま帰るだけだ。ロッカーに戻り荷物を取って身支度を整え、ショッピングモールを出て地下鉄に向かう。
 ショッピングモール直結のベリーヒルズ駅もあるのだが、乗換を考えると違う路線の駅の方が便利なのでそちらを利用している。
 そうは言っても徒歩5分の所にあるのだから、都会は便利なものだ。
 
 生暖かい風に湿度を感じて、やはり梅雨は近いなと思う。
 ただでさえくせ毛なのに、梅雨時は髪が膨張して扱いに困るから嫌だな、などと考えながら歩いていたのだが、ヒルズエリアの大きなエントランスを出る寸前、掛けられた声によって止められる。
 
「綾」

「……充さん」
 
 体も声も強張ってしまう。

 目の前に立つのは赤井充という男――綾の元カレというやつだ。
 
「久しぶり」
 
 2年ぶりくらいだろうか、相変わらずスーツをカッチリ着こなして、自信がありげな風貌をしている。ただ、少しだけ表情に少し疲れが見える気もする。
 
「綾を待ってた。ちょっと話せないか?」
 
「……」

 こんな所で待ち伏せのようにされるとは思っていなかったので、驚いて固まってしまう。
 黙ったままの綾に赤井は続ける。
 
「先週、ここのオフィスビルに打ち合わせに行った帰りにショッピングモールに寄ったんだ。偶然君を見かけてね。その時は連れが居たから声を掛けられなくて、後から店に行ったんだけど、君は居なくて」

「……そう、ですか」

 何とか、声を絞り出す。るりが言っていた時の話だろう。その時、店に居なくて本当に良かった。
 話すと言われても、もう自分は話したいことは何一つ無い。
 
「……それで、何かご用でしょうか」
 
 必死に冷たい声で言ってみるが、綾が元来持っている小動物系のキャラクターのせいだろうか。あまり迫力は出ていない気がする。
 
「なあ、そんなつれなくするなよ。付き合ってた頃は、いつも優しかったじゃないか」

 その証拠に赤井は笑みを消さない。

「何が言いたいんですか?」
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