氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
「……次は私の昔話を聞いてくれるかい?」

 はい、と答えると彼は落ち着いた声で話し出す。

「私は若い頃日本に留学していてね、短い間だったけれど東京にいたんだ。世話になっていた家で、ある日本人女性と出会い、恋に落ちた――美しい人だった。出会えた奇跡に感謝したよ」
 彼は懐かしそうに目を細める。

「彼女と恋人になり、毎日が幸せでね。このまま日本に残ってしまいたいと思った。でも、家の事情で急に国に帰らなければ行けなくなってしまった。私は彼女と離れたく無かった。でも、彼女は帰れと言った。迎えに来るのを待っているからと……」

 インターネットがあったり、飛行機の行き来が多い時代ではない。国が離れてしまう事は相当深刻な事だったのだろう。

「彼女の言葉を胸に、私は国に帰った。でもすぐ後に届いた彼女からの手紙にこう書かれていた――『他の男性と結婚します』と」

「そんな……」

「酷いと思うだろう?私も、心変わりした彼女を恨んだよ。だから自分も祖国で親に言われるがままに結婚し、仕事をして二度と日本に行くことは無いと思っていた。しかし、後からわかったのだが、彼女は本当は結婚なんてしていなかったんだ。彼女は私の為に身を引いたんだ。私が祖国で心置きなく働けるよう自分が恨まれるような嘘をついたんだよ」
 
 なんて、強い女性なんだろう。自分が恨まれても愛する人に幸せになってもらいたいと思ったのだ。

「……今、その方は――」

「もう、亡くなってしまった」

 ラウファルの黒い瞳が深い悲しみを湛える。
 彼がその女性の事を本当に愛していたのだろうとわかる。

「私は悔やんだ。なんであの時彼女を信じられなかったのだろうと。確かに彼女の言った『嘘』は信じてしまった。でも、そうでは無く、彼女の本質を信じられなかった事を後悔している」

 ラウファルは一度言葉を切ると、しっかりと綾の目を見て言った。

「信じていた人に裏切られるのは確かに辛い事だが、信じるべきを信じられなかったらもっと辛くは無いかい?」

「ファルさん……」

 彼の言葉は綾の心の奥底に眠らせていた気持ちを揺り動かす。
 
 本当の自分の心は海斗を信じたいと言っている。お人好しと言われるかも知れないが、少なくとも、ふたりで過ごし、笑いあった時間は本物だったと、心が知っているのだ。
 
『メリットの無い自分が彼に選ばれる訳がない』と思う気持ちが出してしまった答えは果たして、正解だったのだろうか。

「アーヤ、人が出会い、恋する事は奇跡なんだ。ドラマチックでも、ありふれた出会いでも」

 信じてみてはどうだい?余計なものを取り払った彼の本質と、出会った奇跡を。
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