ポロン星のクッキー
 ジグニーに、僕の気持ちを伝えるべきなのか、迷った。
 付き合って欲しい、というような気持ちはない。
 30年以上、彼女の気持ちに気づかなかった僕である。
 今さら何かを期待するのも、違うだろうと思った。
 家の前まで帰ると、隣の家でジグニーがポーチではなく降りて待っていた。

「少し、話がしたいんだ」

 ジグニーはそう言って、僕をポーチに誘った。
 今日はソファーの他に、イスが一つ用意されていた。
 ジグニーは僕にソファーを勧め、自分はイスのほうに座った。

「これ、返しておくよ」

 ジグニーはそう言って、テーブルの上に銀のクッキー箱を置いた。
 驚くことに、黒く焦げ付いた箱は、ピカピカになっていた。

「これは・・・」
「銀はね、変色しやすいんだ。少し時間はかかったけど磨いてやると治ったよ」

 まったく信じられないほど、綺麗になっていた。
 ジグニーは「少し」と言っていたが、ここまで磨くのにどれほどの時間と労力がかかったんだろう。

「この前、自分のせいかもしれない、と言ってただろう?それは本当に間違いで、あの日、アタシは家に自分のクッキー箱は持って帰ったんだ。それは覚えている」

 そうなのか?ではどこで?と思って、銀の箱からジグにーに目を移すと、ジグニーが続けて言った。

「あの後さ、また、あんたが言い出すんじゃないかと思って、いつも持って歩いてたんだ。そりゃ、そんな事してたら、いつか無くすよ。だから、あんたのせいじゃない」
「それは・・・」

 僕は言葉に詰まった。
 銀のクッキー箱を見つめた。
 それは、ある意味、僕のせいではないか?

「ジグニー……」

 僕がいいかけたのを、ジグニーがさえぎった。

「アタシが好きだったからって、それも気にしなくていんだ。これは貰えない、それを言いたかっただけなんだ」

 そう言って、ジグニーも、銀のクッキー箱に目を落とした。
 しばらくの間、じっとクッキー箱を見ていた。

「僕は」

 言いかけて、止まった。
 これほど言いづらい言葉だったのか、と心のなかで唸っていた。
 ジグニーが立ち上がりかけた。

「好きなんだ」

 あわてて言った。

「え?」
「僕はジグニーのことが好きなんだ」

 立ち上があろうとしていたジグニーは、ゆっくりイスに座り直した。

 ジグニーのベッドで目を覚ました時、一瞬、どこか解らなかった。
 かなり深く眠ってしまったらしい。
 隣りに寝ているジグニーを見て、安心した。
 ポーチでしばらくの間、何かしどろもどろに話したが、あまり覚えていない。
 いや、あの、うん、といった言葉とも言えないような会話をした気がする。
 その後、ジグニーの家に入って、ワインを少し飲んだ。
 少し安心して、昔の話をした。
 二人で話をしだすと、子供の頃の色々な事を思い出した。
 僕が忘れていた事もあるし、ジグニーが覚えていない事もあった。
 ジグニーの料理も食べた。
 思ったより美味しくて、びっくりした。

「母親が病気がちだっから、ハイスクールの時から作ってるからね」

 ジグニーはそう言った。
 知ってることは多いが、知らないことも多い。

 ジグニーのことが好きだ、そう解っても、付き合いとか結婚したいとは思わなかった。
 でも、話をしていると、僕たちは一度は結ばれるべきなんじゃないか?という思いが膨らんできた。

「一度でいい、いつか、君を抱かせてくれないか?」

 思わず、そう言ってしまった。
 ジグニーが抱きついてきた。

 儀式のような行為になるかもしれない。そう思ったが、まったく違った。
 僕らは、どちらも上手とは言えない二人だったが、夢中になった。
 僕の想いをぶつけ、ジグニーが身体いっぱいに受け止める。
 どれだけ近づいても、もっと近くに寄りたかった。
 その思いは、ジグニーの中に果てる瞬間、一つになった。
 これまでの行為は何だったんだろう?と思うほど、ジグニーとの交わりは違った。
 これが恋なのか!という思いと、あのジグニーを抱いた!という思いも交錯する。

 背中を向けて寝ているジグニーに目をやる。
 布団から出ている肩がつややかだった。
 これほどジグニーが可愛く見えるのも、不思議だった。
 でもそうだ、木登りで上を登っていたジグニーが振り返った時、後ろから日が差した。
 あの時、笑顔を見て、なんて可愛いんだ!と思ったっけ。

 木登り!
 僕は、がばっと起き上がった。
 ジグニーが僕の音で目を覚ました。

「グラント?」
「千年杉、覚えてるかい?」

 ジグニーは思い出そうするが、覚えてないようだった。

「二人で、あの下にありったけの宝物を埋めた!」

 あっ!とジグニーも思い出したようだ。

「あの時、君はリュックの中の物を全部入れた。もし、クッキー箱が紛れていたら……」

 僕らは急いで服を着て、懐中電灯を持った。
 父の大きなスコップを持ち出し、森に入る。
 千年杉はすぐ解った。
 掘り始めると、小雨がパラついてきた。急がないと!
 予想より深くまで掘ると、やっとカツンと金属に当たった音がした。
 土を除けて行くと、フタの部分が見えてきた。
 エンジンオイル20Lの大きな缶のフタだ。
 フタは錆びついていて、スコップを差し込んで力まかせに開けた。

 中に色々な物が入っている。
 戦闘機の模型、バッジ、野ネズミの頭蓋骨をビンに入れたもの。
 その下に、ちらりと見えた紫色の箱、これだ。
 取り出すと、間違いなくクッキー箱だった。
 ジグニーに渡し、笑いながら聞いた。

「紫だったっけ?」
「アタシも驚いてる」

 彼女も笑った。
 雨が、いよいよ本格的に振り始めてきた。
 クッキー箱とスコップだけ持って走る。
 家に入ると両親を起こしてしまいそうなので、車庫にとりあえず入った。
 息が切れている。年を考えないと。
 ジグニーも息を切らしていた。
 白髪まじりの髪が、顔に張り付いていて、僕は爪でそっと払った。

「ありがとう」

 彼女は、そう言って笑った。
 僕はポケットから自分のクッキー箱を出す。
 笑っていた彼女の顔が曇った。

「グラント、それはいいことだとは思わない。少し冷静になってから考えたほうが……」

 僕は首を振った。

「今まで、自分のクッキーがなんだったか、気になってた。」
「それは、アタシも覚えているよ」
「でも、今はどうでもいいんだ。ただただ、君の箱を開けたい。だめかい?」

 彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

「だめも何も、30年前からオーケーだよ」

 彼女が、僕にクッキー箱を差し出す。
 僕は彼女にクッキー箱を渡した。
 二人で、箱の側面を合わせる。
 カチリ、と鍵が開く音が聞こえた。
 ジグニーが思わず、息を大きく吸い込んだ。
 僕はうなずく。
 彼女のクッキー箱を開けた。
 出てきたクッキーはハート型だった。

「意外だ!ジグニーはハート型だったのか!」

 びっくりしてジグニーを見ると、彼女も驚いた顔をしていて、箱をくるりとこちらに向けた。
 僕のクッキーもハート型だった。

「ハートなんて作った覚えない!」
「アタシもだよ!」

 二人して、クッキーを見つめた。
 これはいったい……

「エポートル、奇跡の麦、やっぱり知らなかったか」

 誰かと思えば、車庫の入口に父が立っていた。

「父さん!起きてたの?」

 父は笑いながら入ってきた。

「物音に目が冷めたら、お前がスコップを持って森に行くのが見えた。待っていると、なにやら、かつての二人が車庫にコソコソ入っていくじゃないか」

 僕とジグニーは、思わず互いを見た。
 そうだ、昔に開けようとしたのもここだった。

「父さん、これってどういうこと?」

 父は、うーんと少し考えて、静かに話し始めた。

「エポートル、という麦は不思議な成分があってな。触った人の精神にリンクして形を変える、半永久的に」
「触った人……あ!だから親が横から指示は出すけど、手伝わないのか!」

 ジグニーが思い出したかのように言った。
 僕は作った時の様子は覚えていないが、父はうなずいた。

「だから、箱の中のクッキーはたえず形を変える。まれに、こういった同じ形になる場合がある」
「父さんたちも?」
「私たちの時は、星型だった。夜空を見て感動した後だったからかもしれない」
「教えてくれればいいのに」

 思わず言った。
 こんな秘密があるなら、もっと早く知りたかった。
 父は困った顔で頭をかいた。

「それは難しくてな。同じ型になると本当の恋だという者もいるが、その本当の恋というやつは、なった者にしか解らぬものだしな。海を見たことがない者に、海を説明するように」

 父の言葉は、今なら解る気がする。
 確かに、若いころの僕に説いても無駄だろう。
 まさに海と同じで、いくら説明を聞いても無駄で、初めて海を見た時に「これが海か」と思うだろう。

「よく、噂が広まらないな」
「そうだな、同じ形になるのは、ひじょうに少なくてな。声高に人に喋る気にはなれん。違う形になった恋人でも、幸せになった者は多いのでな」

 なるほど、それもそうだ。
 しかし、昔の彼女で僕のクッキーを見た途端、泣き出した女性の理由がわかった。
 おそらく、僕のクッキーはいびつな形だったのだろう。

「おじさん、このクッキー、食べれるのですか?」

 ジグニーが父に聞く。

「まあ、美味しくはないが、食べれんことはない」

 ジグニーと見合った。
 でも、食べないなんて考えられない。
 父が僕たち二人を見てため息をついた。

「まさか、何十年も後にこうなるとはなぁ。私が怒ったのは、余計なことだったのかもしれん」

 ジグニーと僕は苦笑いを浮かべた。

「おお、母さんがな、もしクッキーだったなら、ホットミルクがいるだろうと言ってな。さっき作り始めたところだ。飲むかね?」

 僕もジグニーも大きくうなずいた。
 父の後に付いて、家に帰る。

 雨はやんだようだ。
 少し後ろを歩くジグニーの手を取った時、月明かりに照らされた彼女の顔は、とても綺麗だった。



 終


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