すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。

すばるの採用試験







「うーん、お腹いっぱい。ごちそうさま! 清水君コーヒー淹れてくれる?」
「あ、私が淹れます」
「んーいいよ、休んでて。すばるさんも飲む?」
「はい。ありがとうございます」
「私も! プリンと一緒に出しやがれ!」
「わかったわかった…………うるせぇな」
「おい、聞こえてっぞ!」
「聞こえるように言ってんだよ」
「ちゃんと豆から挽いてね……よし、僕らはソファでまったりだよ!」
「豆からか……めんどクセーな」

清水が食べ終わった食器を運びつつ、コーヒを淹れる用意を始める。
こちらを見ていないタイミングで莉乃がすばるに合図を送る。
目線でソファの方を示し、ウィンクのおまけ付きだった。

三人でどっかり並んで座ると、真ん中にいる莉乃は膝の上に雑誌を広げた。

「わー見て見てすばるさん、町のグルメ特集だって!」
「……腹いっぱいとか言った後に、よくグルメ特集とか見れるな」

ごりごりミルを回している清水が呆れた声を投げてよこす。

「ほら見てウナギだって、おいしそー。すばるさんウナギ好き?」
「あー……私、ウナギは……」

莉乃が指さした雑誌の上にはスマホが乗っており、メモアプリが開かれた状態だった。

とんとんと叩かれてその内容を読む。

《 楽しい採用試験の始まりです!!
指令に従って見事ミッションをクリアしよう!!

指令 ① 清水君に気付かれてはいけません!!》

「ウナギ嫌いなの?」
「…………ていうか、食べたことないっていうか……」
「えー? そうなんだ?」

莉乃が画面をスクロールすると次の文章が出てくる。

《 指令 ② 邪魔になるから清水君を遠ざけろ!!》

「……武内の、家の人みんな、にょろにょろしたのがダメって……」
「いるよね、たまにそういう人。すばるさんひとり暮らしの時は? 食べなかったの?」
「スーパーのでも高かったし……このお店ってどのくらい遠く(・・・・・・・)ですか?」
「あーこの町の外だねぇ」
「はぁ……なるほど」

《 指令 ③ 急げ!!》

すばるは顔を上げて時計を見て、雑誌に視線を落とす。
ぎゅうと目を閉じて頭をフル回転させる。

その様子を莉乃と英里紗はにやにやしながら見ていた。

ばっと目を開くと、もう一度雑誌を読み、再び時間を確認した。莉乃のスマホをゆっくりどけて、とんとんと指で記事を叩く。

「あ!! これ見て下さい英里紗さん、フルーツタルトですよ!」
「ほんとだ! うまそー!!」
「え、今日水曜日ですよね。水曜はグレープフルーツとヨーグルトクリームのタルトですって!!」
「え?! ヤバ。マジか!!」
「あ……でも……あぁぁ……」

力無くへなへなと、莉乃たちから離れる方向に崩れて、すばるはソファに突っ伏した。ちらりと莉乃を見上げる。

ぷはと笑って莉乃はキッチンを振り返る。

「清水くーん……すばるさんが塩かけられたナメクジみたいになっちゃったよー」
「どうしたの、すばるさん……おわ! こんなかわいいナメクジ見たことない!」
「グレープフルーツ……」
「うん? 食べたいの?」
「はい……」
「一緒に買いに行こっか」
「……時間が」
「んん?」

ふるふると腕を伸ばし、記事を指さした。

「……『数量限定なのでおやつの時間までには売り切れる場合が多いとのこと。気になる方はお早めに!』……まだ時間あるから大丈夫じゃない?」
「……川の向こうのお店です……私の足じゃ無理です。来週の水曜まで待ちます……」

塩がかかったナメクジのように小さく縮んでいくと、清水はのしっとすばるに覆いかぶさった。

「待たなくていいよ、俺が絶対買ってくるから!!」
「え、だって遠いです……」
「大丈夫!! 莉乃! コーヒー自分で淹れろ!」
「ええ? ヤダよめんどくさい」
「うるせぇ! 俺はタルトを買いに行く!!」
「……清水さん……ほんと?」
「ホント!! 待っててね!!」
「あ、じゃあついでにウナギも買ってきてよ、すばるさん食べたことないってさ」
「クソ! 雑誌貸しやがれ!」

嵐のように去っていって、玄関の扉が閉まって清水の足音が聞こえなくなったのを確認する。

「……行った?」
「行ったねぇ……」

莉乃と英里紗は腹を抱えて笑い出す。

「……俺はタルトを買いに行く!! キリィ!」
「雑誌貸しやがれ! だって。かぁっこいー」
「あの子バカだねぇ……」
「心配になっちゃうよ……すばるさんよくやったね! 上手だったよ!」
「……がんばりました……」
「落ち込んだのが逆に良かったカンジ!」
「確かに清水君にはおねだりより有効だねぇ」
「……私にはハードル高過ぎませんか……」
「ふふ……そんなことないよ! よし! ミッション1クリア! ってことで電話しまーす」
「え? 誰にですか?」
「達川だよ」

スマホを拾い上げると早速電話をかけ、すぐに相手が出た様子だが莉乃はほとんど話をせず、ほぼ相槌だけで通話を終えた。

すぐに短く振動音が鳴る。

「はい、じゃあすばるさん。続いてミッション2だよ!」
「え、あ、はい!」

莉乃は受信したメール画面をすばるに見せた。

「この住所覚えて……今から10分以内にここに行ってね」
「ええ?!」
「……覚えた?」

町名は知っていたので、番地と建物の名前を口の中で何度も繰り返す。
急げばぎりぎりで走って行ける距離に思えた。

すばるはばっと立ち上がる。

「……地図アプリ見るのは?!」
「すばるさんかしこーい。OKだよ。使えるものは何でも使いなさい」
「がんばります!」
「うん、落ち着いて、焦らずにね」
「はい!」

自分の部屋に行き、自分のスマホと側に置いていた達川の名刺をズボンのポケットに入れる。
反対側にはイヤフォンと財布から現金を出して適当に詰め込んだ。

大きな声で行ってきますと声をかけると、いってらっしゃーいと返ってきた。
スニーカーの紐を少しきつめに縛って、マンションを飛び出る。


歩道を走り、追い抜いた人の声や、向かい側から来る人の顔を見て、すばるは足を緩めた。
早足に切り替えて、ポケットからスマホを取り出す。

深呼吸して息を整え、落ち着けと心の中で繰り返し、アプリを立ち上げて覚えているうちに住所を打ち込んだ。

思ったよりも近そうで少し安堵の息を吐き出す。

落ち着け、焦るな、と頭の中に刻んで、イヤフォンを取り出して耳に詰める。ジャックをさして音楽を流した。



目的地に到着して建物を見上げる。

同じような建物が並ぶ中の、五階建ての古い雑居ビル。ひとりでは当然入る気が起きないような怪しさが漂っている。

両開きのガラスの扉は開いていたので、こそりと足を踏み入れる。
入り口のホールは狭く、目の前にある臙脂色のエレベーターのドアはものすごく古びて見えた。

指定は三階なので、エレベーターのすぐ横にある階段を使うことにする。

階段は人が余裕ですれ違えるほど幅が広い。窓はあるが、隣の建物との間隔が狭いためか、煤けたすりガラスが白く見えるだけで陽の光は充分とは言えない。
照明も灯っていないので、コンクリート製の階段は真っ黒な影のように見える。

一段ごとに怖いと思いながら階段を踏みしめて上った。

「……なんだ、早いな」

地を這うような低い声に、すばるはびくりとなる。もしかしたら少し地面から浮いたかも知れない。

二階と三階の間の踊り場で、大柄な男が窓枠に凭れかかって、腕を組んで立っていた。腕を組んだまま手首を返して腕時計を確認している。

「……採用試験……」
「ああ……篠原 すばるか」
「…………はい」
「ついて来い」

三階に上がって、三つある扉の一番奥に向かう。扉を開けて待っているので、すばるは小さくなって横をすり抜け、部屋の中に足を踏み入れた。

部屋は狭く、薄暗い。
窓は無く、裸電球が一つ乏しげに黄色っぽい光を落としていた。

木製の棚が部屋の壁四面、床から天井まで。大小様々な箱が整然と並んでいる。

部屋の中央、一番照明の当たる場所にはスチール製の簡素な卓と椅子が一脚置いてあった。

「そこに座れ」
「はい……」

そろそろと歩いて、背もたれのない丸椅子の端っこに腰掛ける。
膝に腕を突っ張ってびしりと背筋を伸ばした。

男は棚から鉄製の箱を引っ張り出して床に下ろす。
留め金を外して、中からまたさらに箱状のものを取り出した。こちらはボール紙の箱だった。箱の表面に書いてあるのは英語らしいが、読み方がよく分からない。商品名なのか社名か、そのどちらにも見えるデザインだった。

片手で掴めるほどの紙箱を、卓の上に五つ積み上げた。

「銃を扱ったことは?」
「ないです……」
「じゃあこれを見るのは初めてか?」

蓋を開けて見せられた中身は、指ほどの長さと太さの鉄の塊。それがきれいに並んでいる。
映画やドラマで見たことがある、それは銃弾だった。

「初めてです……本物ですか?」
「もちろん、ライフルの弾だ……5ダースある」
「はい」
「一時間やる……分けろ」
「分ける? 何を、どのように?」
「自分で考えて分けてみろ」
「え……と、いくつに?」
「それも自分で考えろ……一時間後に戻る」

時計を確認すると、男は無駄のない足取りで部屋を出ていった。

ほぼ足音がしなかったことは、扉が閉じた時の音で気が付いた。

部屋は暗くて狭いが汚い感じはない。
鉄と油っぽい匂いしかしない。
整頓された棚をみて、この部屋の主人であろう男の身のこなしを思い出して、きっと彼が『ハイジさん』なのだろうとすばるは推理した。

半開きになっている紙箱の蓋をそっと人差し指で押し上げる。
中を覗いて、恐る恐る一本を取り出した。
くるくると回していろんな角度から眺めてみる。先が尖った鉄の塊は、鈍く金色に、照明の光を跳ね返していた。

「……分ける? 分けるって……言われても」

使えるものは何でも使えと言っていた莉乃の言葉を思い出した。
スマホを取り出してホームボタンを押す。
検索エンジンを開こうとして立ち上がりの悪さにまさかと思って上部をみると、しっかりと間違いなく『圏外』となっていた。

「……ぇぇええ……」



音楽を止めてイヤフォンを外す。


自分のたてる音しか聞こえない。
壁が分厚いのかと卓に突っ伏した。





がしゃりと金属どうしがぶつかる音が響いて積み上がった箱が崩れて倒れた。





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