すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。

すばると内覧会







日課の午前中修行を終えて部屋に戻る。

玄関には靴が揃え置かれて、奥のリビングからは和やかそうな、笑いを含んだ会話の声が聞こえた。

すばるははっと表情を変えて、すぐ横にいる清水を見上げた。
ごつごつした感じのスニーカーと、ローヒールのパンプスを指さし、意識して声をひそめる。

「かず君とおばさんです!」
「は、え?!」

武内の家を訪問した時に、ここの住所は教えてあったので、来ようと思えばいつでも来られたのだが、先日アパートを引き払う件で電話した時にはそんな話はひとつも無かった。

ふたりで慌ててリビングに向かうと、待ち構えていたような顔が三つこちらを向いていた。

「ほら、もうすぐ帰るって言ったでしょう?」
「すばるちゃん」
「おばさん、どうしたんですか?」
「急にごめんね、前もって連絡したかったんだけど、今日しか和臣が時間が取れないらしくて……私一人じゃ道に迷いそうだったから」
「そうだったんですか。すみません莉乃さん」
「えー? 良いの良いの。楽しくお話しさせてもらったし。たまたま僕が居て良かったよ。ご丁寧にお土産までいただいたよ」

ダイニングテーブルの上には、銘菓と丸わかりの紙袋が乗っていた。

世間様には『梨乃は清水の兄という設定』なのを思い出して、すばるはぎこちなく頷いた。

「武内さん、お兄さん、こんにちは」
「清水さん、お久しぶりです、先日はどうも。お邪魔させてもらってます」
「いつでもどうぞ。というか、いつ来られるのかとお待ちしていました」
「本当に、突然ごめんなさいね」
「いえいえ、大歓迎ですよ」
「えっと……おばさん、私の部屋で話しますか? かず君も」

リビングを譲ると言った莉乃と清水の言葉に遠慮して、三人はすばるの部屋に移った。

少しだけ散らかったものを片付けて、部屋の窓を開ける。
気持ちのいい空気の出入りにカーテンの端がゆらゆらとしている。

家具のない部屋の真ん中辺りにすばるは座り、どうぞと手で指し示す。
向かい合って床に座ったのはおばさんで、和臣は出入り口近くの壁際に腕を組んで立ったままだ。

「すばるちゃんの部屋……落ち着く」
「ふふ……大きな家だから緊張しますよね」
「ほんと、立派だからびっくりしちゃった」
「私もいまだに緊張しますもん」
「……屋上に行ってるって、お兄さんが」
「ああ、はい。屋上も広くて運動するのに良いので……最近は少しずつ買い物とかにも行けるようになりました」
「そう……良かった」

電話では伝わり辛い近況を直接報告すると、おばさんの表情も徐々に明るく変わる。
すばるも恐る恐る話していたが、肩から少し力が抜けた。

「たまたまお兄さんがいらして良かった」
「そうですね、この時間はほぼ毎日屋上にいるので、タイミングが悪かったら会えないところでした」
「……電話は」
「はい?」
「鳴らしたぞ」
「え、だって運動の邪魔なのでここに置いて……ほんとだ着信があります」
「鳴らしたからな」
「すみません」
「なんだよその服」
「運動……するので」

すばるには明らかにサイズが合っていないTシャツは男性向けのデザイン。いつものジャージは洗濯中なので清水に借りたものだった。
そのことを和臣は言っているのだが、すばるには上手く伝わらない。
ふんと息を吐いてそれ以上話は無いと目を逸らせた。

「すばるちゃん、お父さんと相談したんだけど、アパートを引き払うのは、こちらとすばるちゃんの様子を見てからって話になってね」
「あ……はい」
「私は文句のつけようが無いなって思った」
「……はい」
「どう考えても建物もセキュリティなんかもしっかりしてるし」
「……そうですよね」
「帰ってから、今晩にでも話をしておくから、決まったら電話するね」
「はい、お願いします」
「手続きや引っ越しはどうするつもり?」
「あ、清水さんが手伝ってくれるので、なんとかなりそうです」
「そう……ならますます安心ね」
「心配かけてすみません」
「……心配するのが私の役目」
「……はい」
「けがをしたのは、もう良いの?」
「はい、ずいぶん。もう痛くないです」

この間に話をした時、疑わしそうな顔をしていた和臣のことを思い出して、すばるは膝立ちになりTシャツをめくって腹を出した。
前回話した時は、どうも傷を見せる雰囲気でも、腹を出しやすい格好でもなかった。
嘘ではないと証明できたようで、すばるも少しだけ荷を下ろせた気分になる。

「傷もちゃんと塞がりました」
「……思ったより小さい傷で良かった」
「はい、千枚通しみたいなもので刺されたらしいです」
「……酷い……」
「あ! もう治ったので大丈夫ですよ!」
「早くしまえ」
「すみません! 見苦しいものを!」

さっと裾を下に引っ張って、すばるは床に座り直す。

「……犯人は? 警察の人はなんて?」
「……それはまだ」
「……そう」

それから少し主に生活の様子を話して、お昼時になると、そろそろとおばさんは立ち上がる。

「え、帰っちゃうんですか?」
「そうなの、和臣も学校があるしね」
「そうか……すみません、忙しいのにわざわざ来てくれたんですよね」
「いいのよ、今度はお父さんも一緒にね。その時ゆっくりさせてもらうわね」
「はい、ぜひ!」
「清水さんのご両親にもきちんとご挨拶しなくちゃ」
「そ! そうですね……おふたりともお仕事に行かれてるので!」
「こんな平日の午前中に来て、会えるわけ無いわよねぇ……私ったら」
「はは! おばさんたら! 私からちゃんとお話ししときますから!」
「お願いね。今度はきちんと連絡するからね」
「はい、お願いします!」

駅まで送るから出かけますと声をかけると、清水も一緒に来ることになった。
すばるは部活中のような格好だったので、着替えてマンションを出る。

清水の提案で最寄りのファミリーレストランで昼食を取ってその足で駅に向かった。

先に電車が来たおばさんを見送る。


「すばる……ちょっと」
「はい」
「話……ふたりで」
「あ、はい……清水さん」
「……うん、分かった。そこら辺でまってるね?」
「……はい」

駅を出て、近くの小さなカフェに入る。
その近所の本屋に居ると、清水はふたりと別れた。

「話ってなんですか?」
「……すばる、お前」
「はい」
「俺のことどう思う」
「どう、とは?」
「好きか?」
「はい、好きですよ」
「………………ちっ」
「はい?!」
「…………あいつは……あれ、あの野郎」
「清水さん?」
「…………好きなのか」
「……ぅ…………っと」

ぶわわっと急激に顔が熱くなって、すばるは両手で頬を覆った。
俯いて、ぎゅうと目を閉じ、浮かんできた清水の顔をどうにかしたくて縮こまる。
そんなことで思い浮かんだ顔は消えたりしないのに。

「………………ちっ」
「……なんなんですか、さっきから!」
「うるせぇ、お前こそ何なんだよ」
「何がですか」
「ちびの時から散々面倒見てきたの誰だと思ってんだよ」
「…………どうしたんですか? 急に」
「どれだけお前を…………はぁ……もう、いい」
「かず君?」
「勝手にしろよ」
「……いじけてる?」
「いじけてねぇわ!!」
「早く彼女つくらないと」
「何で上からだ! しかもお前だけには言われたくねぇわ!!」
「……その怒りっぽいの治さないと無理ですね」
「お前、この……表出ろコラ」
「ほら、そんな田舎のヤンキーみたいなこと言って」
「お前いい加減にしろよ」
「……かず君、すごく怒ったりすごく優しかったり、何なんですか、私ばっかり」
「おま…………そ! そういうところだからな?!」
「何がですか?」
「おま……えが! いつまで経っても気付かないからだろ!!」
「何に?」
「…………いい。もう、いい…………分かった」
「私はさっぱりです」
「お前はそれでいい」
「もう……何なんですか」
「くそったれ」
「たらしませんよ」
「くそくらえ」
「いやですよ」

ぬるくなったコーヒーをがぶがぶ飲んで、出ていこうとするのを察したすばるが、和臣を呼び止める。

「なんだよ」
「もらった家具……つくえとか色々」
「は?」
「引っ越すからどうしようかなって」
「…………好きにしろよ」
「……返す?」
「いらねぇわ。捨てちまえ」
「えー、勿体ないです……売ろうかな……そのお金で焼肉行きますか?」
「そんな値段付くかよ、元が安物なのに」
「じゃあ、ラーメン行きますか?」
「…………行かね。お前が使え」
「ええ?」
「シャンプー買え。これからはもう自分で買え、いちいちお前に買ってくのめんどくなったし……あれのためにどんだけバイトしたか」
「あ! やっぱり高いやつだったんですね!」
「そうだよ! もう買ってやんねーよ! お前にやるくらいなら彼女にやるわ!」
「その前に彼女作らないと……」
「お前ぶっ飛ばすぞコラ!!」
「……はいはい」
「……そんだけ器用ならこんな苦労してないわ」
「かず君?」
「……さっさと切り替えて彼女作れるなら、こんな苦労しねぇわ」
「……不器用兄妹ですね」
「お前にだけは言われたくねぇよ」
「……本物の妹じゃありませんもんね」
「…………いつかしてやるよ」

見送りはいいと和臣はすばるを置いてカフェを出る。入れ違いのタイミングで清水が店に入って来た。

「え?……見てたんですか? 気持ち悪い」
「たまたまだよ、さっきまで本屋にいました」

何冊か入った袋を持ち上げて、すばるに差し出した。

「あ、続きが入ってる」
「うん、好きって言ってたの見つけたから」
「わぁ。ありがとうございます」
「うん…………何の話したの?」
「家具を処分する話」
「どうって?」
「好きにしろって」
「……へぇ」
「あ、あとシャンプーやっぱり高いやつでした」
「ふーん……で?」
「もう自分で買えって」
「へぇ……そう。……そうか」
「なんかいっぱいバイトしてたって」
「……だろうね」
「なんかしょんぼりして帰ってしまいました……悪いこと言ったみたいです」
「……うーん……そっかぁ……まぁ、元気が出るまですばるさんも俺も何も口出さない方が良いかもね」
「……はぁ、そうですか?」
「そうだと思うよ?」
「はい……じゃあそうします」
「素直かわいい」
「とりあえずかわいい言っとけみたいなの、止めて下さい」
「とりあえず言ってはないよ。そう思ったから言ってるの」

不可解だと眉を顰めたすばるに、清水はへにょりと眉の両端を下げる。

「ほんとに思ったから言ったのに……」
「それはそれで」
「なに?」
「……恥ずかしいので止めて下さい」
「わぁ…………かわいい……好き」



真っ赤になった顔をごまかすために怒っても、それが清水には逆効果だとすばるは理解できない。

すばるにはまだまだ相手の気持ちを慮るのは難しい。


清水に対する気持ちについて、考えだしたのがここ最近のこと。



和臣の気持ちを知るのは、もっとずっと先、しかも清水に教えられてからのことだった。





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