マリオネットは君と人間になる
「私の……っ。何処にあったんですか?」

「あ、正解? 君のだったんだ、これ。窓側の一番後ろの机の上に〝落ちてた〟よ」

 ……それ、〝落ちてた〟って言わない。

 人の机の上に置いてあった物を、しかもきちんと名前が書いてある物を勝手に落とし物扱いする彼の思考を、私は到底理解することができない。そもそも、他学年の教室に何の躊躇いもなく入れる神経がわからない。

 まぁ、今初めて話したような相手を理解することの方が無理な話だろうけど。

 兎も角、無事に見つかって良かった。

 ほっと胸を撫で下ろしながら黒髪の先輩に歩み寄る。

「拾ってくれて、ありがとうございます。……その、返して、ください」

「んー、どうしようかな」

「え……?」

「だってこれ、もう君には必要ないものでしょ?」

 黒髪の先輩は意味深に微笑みながら、ひらひらと封筒を左右に揺らす。その拍子に、茶封筒の裏表紙が見えた。

 のり付けしたはずの封が、開いてる……⁉

 嫌な胸騒ぎがした。

 ごくりと生温かい唾を喉の奥に飲み込み、震えた声で問いかける。

「それ……もしかして、中の」

「うん。読んだよ。だって、誰の落とし物かわからなかったから」

 黒髪の先輩は悪びれる様子もなく、けろりと答える。

 嘘だ。表紙に名前だって書いてあるのに。

「返して、ください」

「君、〝自殺〟する気だったんだ」

 黒髪の先輩は私の言葉を無視して、問いかけるわけではなく、確信したように言った。

 あまりにも落ち着いている彼に対し、私は無言のまま自分の足元に視線を落とす。

 最悪だ。まさか、自殺する前に読まれてしまうなんて。

 こんなとき、どんな顔をして、なんて言葉を述べればいいのだろう。

 ただの冗談だと、昨夜の自分が必死に思いを綴った物を、簡単に笑い飛ばせるだろうか。

 ……そんなの、無理だ。

「自殺の理由は、これに書いてあった通り? そんなに思い悩んでいたなら、誰かに相談とかすればよかったのに」

 身近に気軽に相談相手がいない生徒だっている。現にここにも一人。

 そんなことを言っても能天気そうな彼には伝わらないと思い、俯いたままひたすらに口を閉ざす。

「……なんか君、〝お人形さん〟みたいだね」

 突然、額に吐息のようなものがかかり、思わず顔を上げる。

 いつの間にか黒髪の先輩は私のすぐ前まで来ていて、上半身を屈め、私の顔を覗き込んでいた。

 至近距離にあった彼の顔に驚く間もなく、黒髪の先輩は私に問いかけてくる。

「ねぇ、なんで戻って来たの?」

 前髪の奥で、先輩の焦げ茶色の瞳が真っ直ぐに私を捉える。

 ギラギラとした、この状況を楽しんでいるような悦に浸った瞳。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように私の体は硬直し、数秒の間、息をすることさえも忘れる。

「……っ」

「誰かに止められた? それとも、直前で怖気づいた? 自殺っていう道を選ぶことになって、悲しい? こんな苦痛を与えた相手が憎い? 勝った感情は怒りの方?」

 なに、この人……いきなり何を言っているの?

 息が荒い。もしかしてこの人、興奮してる? なんで? どうして急に?

 黒髪の先輩は茶封筒を放ると、突然私の両肩に掴みかかる。

 私より一回り大きく角張った指がギリギリと肩に食い込み、私は短い呻き声を上げる。

「いた……っ」

「どうやって自殺しようと思ったの? 飛び降り? でも屋上は立ち入り禁止だよね。今まで何処に行ってたの?」

 一方的に投げかけられる怒涛の質問攻め。

 それらを一つずつ答えていく余裕はなく、私の脳は痛覚を叫んでいる。生理的に流れる涙で視界が歪む。

 このまま彼の両手が上がり、首を絞め上げられてしまうのではないか。そんな恐怖心が込み上げてくる。

「や、やだ……やだっ‼」

 無我夢中で、渾身の力を込めて彼の体を突き飛ばす。

 すると黒髪の先輩は急な反撃に対応できなかったようで、体をよろめかせて私から数歩後ずさった。

 ついさっきまで酷く気にしていた、足元に落ちている封筒。

 今はそれを気にする余裕なんてなくて。

 私は黒髪の先輩が離れた隙に、廊下へと飛び出した。
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