ささやきはピーカンにこだまして
 そのひとに気づいたのはいくつめの信号待ちだったか――。
 ぺちゃくちゃやかましい車内で、そこだけ音が消えていた。
 コートやジャケットで着ぶくれたかしましいダルマたちのなかで、そこだけ時間が止まったみたいに、微動だにしない小麦色。
 ひとつ前の座席のアシストグリップをつかんだ手。
 うっすら3本の骨が浮いた肉の薄い手が、こんがり陽にやけて小麦色。
 紺色のメルトンコートが萌え袖になって、手首が隠れているのがすごくかわいらしいのに、男らしい。
 グリップを握った左手のうえを、時折ぎゅっとにぎる右の手は、きれいに整えた爪の先で、優雅にピアノのキーでも叩いていそうなのに小麦色。
 それがもうわたしには不思議で不思議で。

 わたしの目は、まず彼の手に〔恋〕をして……。

 がっかりしたくないなぁ…と図々しいことを思いながら、その手の持ち主を確かめるために、見え隠れする肘、肩、腕と、そろそろと見上げてみた。
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