契約夫婦のはずが、極上の新婚初夜を教えられました
「何をおっしゃいますか。彼女は秘書ですよ、それ以上でも以下でもありません。天海さん、ではここで。このあとのことはさっき話した通りですので、そのようにお願いします。会社に戻るのはさほど遅くならないと、斎藤に伝えておいてください。では」
 
 大吾さんは淡々と話し、くるりと背中を見せる。そしてそのまま田町さんと連れ立って、歩き始める。ふたりの姿は後ろ姿だけでも様になっていて、憂鬱なため息が零れた。
 
 大吾さんが田町さんの車に乗り込むのを見届けると、私も斎藤さんのところに向かおうと踵を返して足を動かす。でもすぐに背後から足音が聞こえて、その足を止めた。

「天海さん、待って」
 
 その声に振り向くと、田町さんが口元に人の悪い笑みを浮かべて立っていた。

「なんでしょうか?」
「天海さん、今晩は菱川さんをお返しできないかもしれません」
「え?」
「そう、斎藤さんにお伝え願いますか? それじゃあ」
 
 田町さんの言葉に呆気に取られている私によそに、彼女はそう言うだけ言うと魅惑の笑みを残して、私の返事も待たずに行ってしまう。車に乗り込みエンジンをかけると、目の前から颯爽と走り出してすぐにその姿は見えなくなった。
 
 今のはなに?
 
 突然、言いようのない不安に襲われる。

 斎藤さんにお伝え願いますかと言いながら、その言葉は明らかに私へ向けたもの。

 なぜ彼女が私に、そんなことを言うの──。

 わからないままただ茫然と、ふたりが乗った車が消えた方向を見続けた。





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