善人騎士は聖人女王の夢を見る

01

 アリスタ。

 それは自分が初めて出会った家族ではない女児で、自分が初めて恋をした少女で、自分が唯一守ると誓った女性で、自分が生涯愛すと決めた女王の名前がそれだった。

 アリスタは王女、とはいえ兄がいたので継承の序列は二番目であったし、女子なのだからと嫁ぐことがほぼ初めから決まっていた。対して自分は侯爵家の息子、それも長兄は秀才で、次男だったために家を継ぐことは最初からまあないだろうという感じだったし、そもそもどうやって父親が自分を王女と会わせるに至ったかも詳しいことはずっと知らない。

 そんなことはどうでもよくて、大切なのは愛した女性が王女で、長兄が暗殺されたので女王となって、自分はその一番近い騎士として彼女をひっそりと愛することしか許されなくなったということだった。


 結ばれる未来を何度も夢見た。そして叶わなかった。それだけだ。貴族社会では政略結婚など珍しい話でもない。女王であるための美しさも賢さも彼女はすべて持っていた。当然だと思った。善い女王として国を治めた。入り婿であった国王とも子を成した。ただただ素晴らしい女王だった。誰もが口をそろえて賛美をした。



 なのに、なんなのだ、このありさまは。





「女王をっ! 殺せぇっ!」



「今こそ裁きのとき! 断罪だ!」



「断罪!」



「断罪!」



「断罪!」





 広間に転げ落ちた首は見慣れた国王のそれである。やさしく微笑んでいた面影もなく、その絶望は死してなおその目を濁らせていた。

 ああ、だが、私は聞いた。女王を差し出し、逃げようとしたのだ。この美しい女王を、自分のかわりに殺せと宣ったのだ。愛していたのではないのか、お前の愛はそんなものか。だったら、私は、俺は、どうしてアリスタを愛することを押さえてこなければいけなかったのだ。





「離せ! 離せ! これは命令だ! なにをしてる民衆を止めないか!」



「団長、無理です。もう、この国は」



「無理なものか! 俺は女王を、アリスタを守ると神に誓ったのだ! 触るなっ!」



「いけません! 団長! ……ルネ様!」





 ねえ、もし来世があったとしたら――――。

 アリスタ、アリスタ。きみといつかそんな話をしただろう。私が君を愛することを許してくれと頭を垂れたとき、君は笑って次の世の話をしてくれたのだ。

 それが俺にとってどれほどの救いであったのか君は知るまい。今、今生で、結ばれたかったと世界を呪った俺の心に、次の世を夢見せてくれた君をどれだけ愛しているか、きっと君でさえ知りえないのだ。



 ―――――――ねえ、もし来世があったとしたら、今度はあなたと二人仲睦まじく暮らして、愛し合える世界に生まれたいものね。――――――



 その約束ですらない約束を、妄想のような希望を、声にすることすら許されない喜びを、幾度となく慈しみ、抱きしめ、愛してきた貴女のすべてをこんな形で終わらせていいはずがない。

 愛しているはずだ。この国を。民を。国王を、王子たちを。たった一人、騎士でしかない私を愛している君だからこそ、そんな騎士でしかない俺などはとうてい想像もつかないほどに深く深くこの国を愛しているはずだ。

 なのに、どうして。





「離せ、離せお前ら! 裏切り者め、恩知らずめ、女王の国で生きてきたくせにその女王を殺そうというのか!」



「ルネ……! ルネだめよ!」



「アリスタァァァッ!」





 鈍い音、脳が焼け付くほどの痛み、石畳を汚す赤。

 ああ、違う、違うんだアリスタ。最期まで、君にそんな顔をさせたいわけじゃなかったんだ。笑って欲しかった。幸せでいてほしかった。君を守りたかった。君を愛していた。

 きみにそんな顔をさせる俺を許してくれ。絶望から救い出せず、逆に突き落としてしまう愚かな俺を許してくれ。そして俺を捨て、君は来世で幸せにならなくてはいけないのだ。なぜってそんなのは、そう望むのは、俺が君を、君だけを、痛いほどに愛しているからだ。

 自分のことばかり、ひどいエゴだと思うかもしれないが、そして君は私の手をとろうとするのだろうが、利己的で盲目的で献身的でいたいのだと、その矜持は何人たりとも切り捨てやできないのだと、ただただ、それだけは。





「お、のれ……おのれ、おのれおのれおのれえええぇっ! 貴様ら、許さぬ、何度貴様らが生まれ変わっても呪ってやる! この国を呪いお前らを呪い未来永劫苦しめてやる! 災いを、この国に晴れることなき永遠の暗雲を! 貴様らに! 貴様らに、死より果て無い絶望を目にもの見せてやる! ああああああああっ!」





 君の口から、怨嗟が零れ落ちる日などこないと思っていた。

 君の瞳に絶望が浮かぶ日などこさせるものかと思っていた。

 君の美しい身体を、老婆になった君を埋葬することが、自分の最期の仕事だろうと思っていた。





「あり、す……た……」





 歪んだ熱狂に包まれて刃物が空を切る音がした。

 災いあれ、災いあれ、女王を愛さぬこの国に、俺の愛した女王を殺したこの国に、女王を絶望させたこの国に! 死など生ぬるいほどの災いあれ!
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