【改訂版】新まりなの日記
プロローグ・生い立ち
アタシ・まりなは、昭和46年に大阪で生まれたが、本籍は大阪布施(東大阪市)の母の実家です。

両親の職業は、父は大手都市銀行の管理職で、母は一流総合商社のエリート管理職です。

母の実家は、ひとつ屋根の下でアタシの祖父母とおじ夫婦3組と子供たち16人とアタシの両親とアタシの27人家族であった。

両親の仕事上の都合で、アタシは祖父母に育てられた…と想う。

アタシが1歳の時、両親に連れられて泉北高速鉄道の光明池(こうみょうがいけ)駅の近くにある団地に引っ越しをして、小学校1年生頃まで暮らしていた。

アタシが家に帰ってきた時、いつもひとりぼっちだったけん、愛情に恵まれてへんかった…

晩ごはんは、母が『お母さんね忙しいから…』と言うて、アタシにアルミ容器のキンレイの鍋焼きうどんばかりを差し出していた。

そう言うことばかりが続いていたけん、家族そろってごはんを食べたことなんかなかった…

アタシが小学校1年生の終わり頃、大阪北畠の大手都市銀行の支店で恐ろしい猟銃立てこもり事件が発生した。

その時アタシは、学校の校庭でクラスの子たちと遊んでいた。

事故発生から15分後に、おばがアタシの元にやって来て『まりなちゃん、銀行で立てこもり事件が発生したわよ…今のうちに帰る支度をしなさい!!』とイライラした口調でアタシに言うた。

大阪北畠の銀行立てこもり事件が原因で、父はケーサツからめんどいことを聞かれた。

父は、支店の女子行員さんにストーカーしていた容疑者の男をボコボコにどついたことや女子行員さんにセクハラしていたことなどが原因で失職した。

母も、会社から得意先の文房具屋さんに出向を命ぜられた。

安定した収入を失った両親は、アタシを連れて遠い島へ逃げ込んだ。

同時にアタシも、転校を余儀なくされた。

父は『元気な体さえあればどこでも雇ってくれる…元気な体が働く資格だと言うことに気がついたよ…』と言うて、島の水産加工会社に再就職をした。

父は、最初のうちは張り切ってがんばってはいた。

けれど、数ヶ月たった頃『オレは一体、何をやっているのだ……こんなはずではなかった…』と言うて、やる気をなくした。

それから父は、出勤と欠勤を繰り返すようになった。

毎日のように母と大ゲンカを繰り返していたけん、家族関係はハタンの危機にひんした。

昭和59年3月末、アタシが小学校を卒業した時に両親が他界した。

ひとりぼっちになったアタシは、中山(伊予市)にいる親戚の家に転がり込んだ。

アタシは、中山の中学校に入学をした。

しかし、入学式の時にもめ事を起こしたので、4日で学校に行けなくなった。

同時に、中山の親戚の家にも居づらくなった。

アタシは、松山の第三(特別支援学校)の中等部に転校をした。

高校は、どうにか松山の私立の女子高に行ったけど、資格も特技もないまま卒業をした。

高校卒業後、福山で暮らしている大学生のカレと同棲生活を始めた。

しかし、2年後にカレから受けたDVが原因であえなく破綻した。

その後、四国へ逃げて帰った。

アタシは、高校時代の友人からの紹介で志度(さぬき市)にある鋼板製造工場に就職した。

それからアタシは、香川県や徳島県や関西の各地を転々とする日々を過ごした。

伊丹のリノリューム工場に再就職した時、にへん目のカレと知りあって、再び同棲生活を始めた。

けれど、カレのギャンブル癖がひどいことなどが原因で同棲生活は破綻した。

アタシは、39の時に鳴門で結婚をした。

しかし、同居していた義母と深刻な嫁姑間の対立を起こしてリコンした。

にへん目・今治の時も、深刻な嫁姑間の対立が原因で結婚生活が破綻した。

さんべん目・由宇(山口県)の時は男ばかりのきょうだいの家の末っ子のダンナの次兄さん夫婦がアタシがバイトをしていた岩国のフジグランをやめさせたことに腹を立ててドカバキの大ゲンカを起こしたその上に、ダンナが合コンで知り合った女性をダンナが傷つけた事件を聞いて女性の父親とドカバキの大ゲンカをしたそのまた上に、ダンナの父親と次兄さんにもドカバキの大ゲンカをしたので、結婚生活はあえなく破綻した。

よんへん目・奈良の時はダンナの連れ子の深刻な問題でダンナともめて結婚生活が破綻した。

ごへん目・福岡の時はダンナのオドシに屈して再婚した。

そこでもまたもめ事を起こして結婚生活が破綻した。

せやけん、アタシは結婚には向いてへなんだ。

そんなアタシは、50の時に医師から乳ガンを宣告された。

けれど、アタシは治療を拒否して、生涯を閉じた。

白い雪におおわれた四国カルストの雪原で眠っている間に、アタシはひとりぼっちで亡くなった。
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