呪われ聖女、暴君皇帝の愛猫になる 溺愛されるのがお仕事って全力で逃げたいんですが?


 シンシアが謳うように治癒の精霊魔法を唱えていると男の身体が徐々に淡い光に包み込まれた。頭の傷はみるみるうちに塞がり、血も浄化されて額からなくなっていく。

「良かった。聖力は健在みたい。これなら私が担当している北の結界が消える心配はなさそうね」


 アルボス帝国は大陸の西に位置し、その面積の四分の一を占めている大国だ。国内の北西部には魔物が巣くう森・ネメトンが存在し、そこには五百年前に勇者が倒した魔王が浄化石の中で眠っているとされている。
 手下の魔物たちは魔王が復活することを渇望しており、少しでも瘴気をアルボス帝国内へ蔓延させたい。
 しかし、その瘴気もアルボス教会の聖職者が練り上げた結界によって押しとどめられている。


 (かなめ)となるのはヨハルが錬成した強力な結界だ。だが、そのヨハルも六十を過ぎてからは力が衰えてきており、シンシアは力を補填する形で北の結界を担当していた。
 ほっと胸を撫で下ろすと、改めて倒れている男をしげしげと眺める。どこかで見たことがある顔だった。

 さらさらとした黒髪に彫りの深い整った顔立ち。その人の身なりは帝国騎士団のものとよく似ている。
(この人は誰だろう。身なりもいいし、討伐部隊の人? でも討伐部隊にここまでの美形はいなかったし……)

 シンシアとて美しいものは好きだ。これほどの美形を忘れるはずがない。
 では彼は一体誰なのだろうか。


 細い記憶の糸をたぐり寄せていると、不意にある光景が浮かんだ。
 荘厳な空間に大勢の紳士と淑女。そして、眉間に深く皺を刻み、眼光が炯々としている人物。

 全てを悟ったシンシアの心臓が早鐘を打つ。全身からは瞬く間に汗が噴き出した。

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