ハージェント家の天使
 けれども、それはヴィオーラが2歳の時に終わった。
 妾が跡継ぎとなる男子ーーマキウスを産んだからであった。
 跡継ぎとなる男子を産んだ事で、両者の関係は逆転してしまった。
 自分より身分の低い男爵家の妾が、自分が産めなかった跡継ぎを産んだ。
 それが、プライドの高いヴィオーラの母親の神経を逆なでする事になったのだった。

 マキウスの母親は、マキウスを出産する時に体調を崩して、ほとんど屋敷に籠もりがちになった。
 そんなマキウスの母親に、ヴィオーラの母親は嫌がらせをし続けた。
 それでも、姉弟の父親が生きていた頃はまだ良かった。
 だが、騎士だったマキウスの父親は、騎士団の任務中に不良の事故に遭い、若くして亡くなってしまったのだった。

 ヴィオーラの母親がブーゲンビリア侯爵家の跡を継いだ事から、嫌がらせはエスカレートした。
 やがてマキウスの母親は、心労から亡くなってしまったのだった。
 ひとり残されたマキウスは、地方にあるハージェント男爵家に戻される事になったのだった。

「男爵家に戻された私は、男爵家の当主だった祖父母が亡くなった後、その跡を継ぎました。
 その後、地方の騎士団に所属して、ひとりの下級騎士だった私を王都に引き抜いたのが、今の隊長です」
 数年前、ヴィオーラの母親が病気で亡くなると、ブーゲンビリア侯爵家はヴィオーラが引き継いだ。

「そうだったんですね……」
 マキウスは空を見上げた。
「母親同士の仲は険悪でしたが、隊長は私に優しくしてくれました。いつも振り回されていましたが」
 部屋に1人でいたマキウスの元に、ヴィオーラはよく遊びに来ていた。
 日によっては、ペルラの娘であるアマンテとアガタも一緒にやって来て、共に遊んだのだった。
 ヴィオーラはマキウスを連れて、屋敷を抜け出して王都に遊びに行った事もあった。
 時には屋敷の使用人に悪戯をして、2人の乳母であるペルラに怒られたのだった。

「子供の頃、隊長は母には内緒だと、高価な菓子を持って来てくれた事がありました。2人で分け合って食べた菓子の美味しさ、甘さは今でも忘れられません」
「けれども」と、マキウスは続けた。
「そのような日々は、もう来ません。子供の頃に失われてしまったのです」
 昔は姉と弟、侯爵家の姉弟。
 けれども、今は隊長と部下、公爵と男爵。
 もう、同じ位置に並ぶ事さえ許されないのだろう。
 一際強い風が吹いた。マキウスの横顔を隠すように、灰色の髪が靡いたのだった。

 マキウスは微かな微笑みを浮かべた。
「そろそろ。屋敷に戻りましょう。風が冷たくなってきました」
「はい……」
 モニカは髪を抑えながらマキウスについて行くと、気になった事を聞いた。
「もし子供の頃のように、立場や身分を気にしなくていいのならば、もう一度、ヴィオーラ様との関係を取り戻したいですか?」
 しばらく経った後、マキウスは呟いた。
「そうですね。願わくば」
 その呟きは、風に消えたのだった。

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