拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
だから、まだあの日から二月後ほどしか経っていないのに、報告を受けた早期退職者の名簿の中に菜々子の名前を見つけた時には、信じられずに己の目を疑ったくらいだ。
ーー見るからにパティシエールの仕事が好きで好きで堪らないって感じだったのに。自分から辞めるなんて一体どういうことだ?
何度目を凝らしてみても、名簿には間違いなく菜々子の氏名が記されている。
けれどどうしても合点がいかなかった。
ーーやむを得ない理由があるはずだ。
そうとしか思えなかったのだ。
あまり気乗りはしなかったが、経営の立て直しにリストラは必要不可欠だった。
でもそれは、これまで築き上げてきた信用を落とさぬように、これまで同様のサービスの質を保ちつつ、尚且つコストを最小限に抑えるためには、功績に関わりなく経営者一族だというだけで、自分の地位や名誉に胡座をかいて、甘い蜜を吸っていた名誉職など役員連中を筆頭に、長年年功序列を重んじてきた古い体質を崩すのが目的だったのだ。
だからといって、誰彼関係なく対象者に選んでいたわけじゃない。
比較的若い者は残して、定年間近の者を最優先に、桜小路グループの関連企業への再雇用を希望する者から早期退職者を募っていた。
ーーそれなのに、どうして彼女が?
どうにも合点がいかず菱沼に調べさせてみたら、なるほどというか、お人好しというか、シングルマザーの先輩の代わりに退職を願い出たのだという。
正直、バカなのか? としか思えなかった。
まぁ、お陰で、菜々子のことを俺の専属パティシエールとして雇い入れることができたのだから、好都合だったのだが。
でもまさか、ハローワークに行く途中にあんな事故に遭うとは、つくづく運のない女だな、とも思ったけれど、俺に目をつけられた時点で、そもそも運が尽きていたのかもしれない。
おそらくとしか言いようがないが、今の菜々子が、従兄を好きだという、自分の本当の気持ちに気づいてないんだとして。
もしもそのことに菜々子が気づいた時、一体どうなるんだろうな?
それ以前に、人質にされてるんだから、菜々子にはどうしようもないのか。
てことは、このまま菜々子とずっと一緒に居られるのか。だったらなんの問題もないじゃないか。
ーー運が悪かったな、諦めろ。でもこの俺が責任持って幸せにしてやるから、安心しろ。
それでいいじゃないか。
……そのはずなのに、ちっとも嬉しくないのはどういう訳だ。