拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。


 確かに、『帝都ホテル』が桜小路グループの傘下になるというのには驚いたけれど、そんなものはどうでも良かった。

 何故なら私には、解雇を取り消されては非常にまずいある事情があるからだ。

 焦った私は、大慌てで声を放っていた。

「あの、取り消すのだけはやめてくださいッ! お願いしますッ! 私には洋菓子店を営んでいる伯母夫婦も居るので、すぐに店で雇ってもらえますので。

そんなことより、入院している間に色々とお世話になってしまったようで、本当にありがとうございます。お礼でしたらそれで結構ですので、どうぞお引き取りくださいッ」

 痛みなんかすっかり忘れて必死に声を放った私の想いが伝わったのか。

「そうですか? では、これにて失礼させていただきます」

 あっさりと了承してくれた菱沼さんはどうやら帰ってくれるらしい。

 安堵した私が、菱沼さんが亀の入った水槽を抱えたままで身体を二つに折って律儀に一礼してくれている様を見守っているところに。

「菱沼、猿芝居はもういい。身勝手なお節介が周りにどれほどの不利益をもたらすか、このバカ女に分かるように言ってやれ」

 今の今まで、『どうも』以来一言も発言のなかった桜小路さんから、たいそう不機嫌そうな不遜な低い声音が吐き捨てられた。

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