冷徹ドクターに捨てられたはずが、赤ちゃんごと溺愛抱擁されています


 これは三年前の話。

 最上階のホテルのバーカウンターでは大人の社交場らしく、薄暗い明かりの中で皆静かに会話とお酒を楽しんでいる。

 ペンダントライトの光を受けて目の前のカクテルグラスが輝く。美しい紅色の液体を口に含むと、クランベリーのさわやかな味とアルコールが一気に口の中に広がった。

「はぁ」

 美味しいお酒を飲んでいるにもかかわらず、わたしはカウンターに肘をついて大きなため息をついた。

「なんだよ、辛気臭いな」

 隣から声がして『あ、ひとりじゃなかったんだ』と思い出す。

「ごめん」

「いいさ、別に。どうせお前から誘ってくるなんて、なにかあったんだろうと予想してたから」

 ふーん、わかってるじゃん。

 なんて偉そうに隣に視線を向ける。そこには……友人(とでもいっておこう)の君島翔平(きみじましょうへい)が呆れた様子でこちらを見ていた。

 片手で琥珀色の液体の入ったロックグラスを傾ける。ひと口飲んだ後、口角が少し上がった。きっとお気に入りのお酒を飲んで機嫌がいいのだろう。

 わたしと違いご機嫌な様子の相手を見て、またため息をついた。

 きっと翔平には、わたしみたいな悩みなんてひとつもないんだろうな。

 彼はわたしよりも七つ年上の三十一歳。わたしの姉が勤めているクリニックの医師で、院長をしている。それだけでも人に尊敬され、羨ましいと思われるに違いない。けれど彼はそのステータスに加えて、恐ろしいほどの美貌を持ち合わせていた。

 少し茶色がかった長めの前髪。そこから覗く形のよい目は見る人を引き付け、わたしもはじめて彼と目が合ったときは偶然だとわかっていても、ドキッとした。

 男性にしてはきめ細やかな肌、高い鼻梁に少し薄いけれど形のよい唇。メイクなしでここまで美しいなんて神様は本当にずるいと、彼の顔を見るたびに思ってしまう。

 ひとたび笑顔を浮かべたら、周りの人間はみな彼を好きになってしまうのではないかとさえ思う。

 本人にもその自覚があるのが、むかつく。いや、でも自覚がない方がむかつくか。天然のタラシほど手に負えないものはない。

 とにかくこの隣にいる君島翔平という男、むかつくけれど嫌いじゃないのだ。

 いや、むしろ自分が落ち込んでいるときにこうやって呼び出すくらいには、好き……なんだと思う。友達でもない、ましてや恋人なんてとんでもない。そんな関係の彼だが居心地がいいのは確かだ。

 それは多分、彼の隣だと自分がありのままでいられるからだと思う。

「で、なにがあったんだ?」

 彼はバーカウンターの中で軽快にシェイカーを振る熟年バーテンダーを見ながら尋ねてきた。さして興味のなさそうに聞いてくれるあたり、本当に人の心を読むのがうまいなと思う。不幸話なのに興味津々でこられると、とたんに話したくなくなるわたしの微妙な心を理解してくれているのだ。

「既婚者だったの……」

「あ?」

 翔平がこちらを鋭い視線で見る。

「あの男か?」
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