アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 あの頃のオルキデアは、三年前に亡くした父のエラフを失った悲しみから、仕事以外は何も考えられなかった。
 飢えと寒さの中、基地を目指して歩いている時でさえ。
 雪を踏み締め、倒れそうになる自分を叱咤して、ただただ目的地を目指した。ーー現状を伝える為に。

 現状さえ誰かに伝えられたなら、自分はどうなってもいいとさえ思った。
 報告が遅れた罪で罰せられても、飢えや寒さで死んでも。
 その時のオルキデアには、「生きたい」という望みを持っていなかった。
 物事を考える気力さえ、失っていたのだった。

「それは」とアリーシャは振り向く。

「きっと、クシャースラ様やセシリアさんたち……オルキデア様を大切に思っている人たちが、生きていて欲しいと、強く願ったからだと思います」
「そんな奴、いるのか?」
「いますよ! クシャースラ様やセシリアさんだけじゃありません。マルテさんやメイソンさん、それに私だって……」

 言いかけたアリーシャを促すように、「私だって?」とオルキデアは続ける。

「私だって、そう思っています……。そうじゃなきゃ、私たちは今こうして……一緒に寝ていないので」

 目を逸らしながら話すアリーシャがいじらしく思えた。
 今夜の自分は寒さと北部での記憶でどうかしているのだろうか。
 今まで、アリーシャをそう思ったことは無かったのだがーー。

「そうだな」

 オルキデアはアリーシャに近くと、その華奢な身体を抱きしめる。
 背中に手を回すと、自らの腕の中へと引き寄せる。

「オルキデア様?」
「やはり温かいな、君は。身も、心も」
「オルキデア様も温かいですよ……。温かくて、なんだか眠くなってきました」
「俺もだ。そろそろ寝るか。さすがにこれ以上は、身体に響く」

 明日はアリーシャと出掛けるつもりだった。
 夫婦らしく見える為に、必要なものを揃えに。

「そうですね。寝ましょうか」

 さっきよりも距離が近いからか、アリーシャの甘い香りが間近に感じられた。

「おやすみ。アリーシャ」
「おやすみなさい。オルキデア様」

 オルキデアは目を閉じながら考える。
 嫌がらないということは、このまま寝てもいいという意味なのだろう。ーー睡魔からアリーシャの頭が回っていないという可能性もあるが。
 僅かに目を開けて、腕の中に視線を向けると、アリーシャは菫色の瞳を閉じていた。
 こうして見ると、やはり彼女はあどけない少女の様だと思う。
 ほっそりした身体も、柔らかな頬も、絹のようにさらりとした髪も、柔和な笑みさえも、まるで穢れを知らない無垢な子供のようであった。
 手を伸ばして、頬に掛かる藤色の髪に触れようとしたところで思い止まる。
 自分とアリーシャは、あくまで契約結婚の関係。ここから先は、本当の恋人がやることだ。仮初めの関係である自分にはそれをやる資格がない。

 腕の中のアリーシャを感じながら、オルキデアは再び目を閉じる。すぐに意識は深い眠りの中に落ちていったのだった。
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