アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 二人分の紅茶と軽食として菓子を少々もらって執務室に戻る途中、ラカイユに会った。
 曰く、今日届いた郵便物をアリーシャに預けたとの事だった。

「新聞以上に若くて、お綺麗なんですね。アリーシャ嬢。いえ、アリサ(・・・)嬢は」

 コソッと呟いて去って行くラカイユを見ていて、オルキデアは思い出す。

(そういえば、アリーシャについて、まだ説明していなかったな)

 クシャースラは昨日、配信されたシュタルクヘルトの新聞にアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトの国葬が掲載されたと言っていた。
 王都の軍部では、電子での配信と下級士官以下が利用する食堂への貼り出し以外に、一日遅れる形で、各執務室にペーパー版で同じ物が届けられる。
 従卒を含めて、なるべく多くの兵の目に触れて欲しいという考えらしいが、電子版かペーパー版か、どちらか片方でいいのではないかと思う。

(ラカイユにも協力を仰ぐべきだろうな)

 オルキデアの部下の中では、アルフェラッツと同じくらい仕事が出来て、何より口が堅く、信頼がおける。
 それもあって、国境沿いの基地からアリーシャを移送する際、執務室にもう一人住めるよう、内密に用意を頼んでいた。
 襲撃跡地で保護した記憶喪失の民間人を手元で監視する、とだけ言って。
 ラカイユはその民間人ーーアリーシャを、アリサと結びつけたのだろう。

 昨日、今日と時間が合わず、まだラカイユにはアリーシャについて詳細を説明していなかったが、アルフェラッツと同じくらいシュタルクヘルト語が堪能な部下の事だ。新聞を読んで勘づいたのだろう。

 そのうち、ラカイユにもアリーシャについて話さなければならない。
 あまりアリーシャの話を広めない方がいいが、移送の際にはクシャースラやアルフェラッツだけでは人手が足りない。ラカイユの協力も必要となる。

 どう説明しようか考えながら、執務室の扉を開けたオルキデアだったが、執務机の上でシュタルクヘルト語の新聞を読んでいるアリーシャが目に留まる。

「思い出した……」

 アリーシャの呟きに、とうとうその時がやってきてしまったのだと気づく。
 ーーアリーシャとの、永遠の別れを。

(別れか……)

 そこまで考えて、オルキデアはハッとする。
 自分が思っていた以上に、オルキデアはアリーシャとの別れを惜しんでいる事に気づく。
 アリーシャとの日々を慈しんでいた事実に、驚きを隠せなかった。

 持っていた紅茶と軽食が乗ったトレーを廊下に控える部下に預けると、オルキデアはそっと執務室に滑り込む。
 音を立てないように入ったが、アリーシャは気付いていないようだった。

「私の本当の名前は、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルト。
 シュタルクヘルト元王家の直系の血を引く九番目の子供……」

 オルキデアは紫色の目を伏せるが、すぐに上げる。

「ようやく、思い出したのか」
 それが嬉しいような悲しいような、複雑な感情となってオルキデアの胸の中で渦巻く。

「オルキデア様……」

 アリーシャの菫色の瞳が揺れる。泣かないように、ぐっと堪えるように顔を歪める。
 もしかしたら、今の自分もアリーシャと同じ顔をしているのだろうか。
 自分が、アリーシャに悲痛な顔をさせてしまったのだろうか。

(冷たい、冷酷と、部下から噂のラナンキュラス少将も形無しだな)

 オルキデアは自らを冷笑したくなった。けれども、今はそんな場合では無い。

「……これで、終わりだな」
 記憶喪失の捕虜と将官は、敵国の元王族と将官の関係に変わった。

「話しをしよう。……今後について」
「はい……」

 ここに、妥協の余地はない。

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