アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「襲撃の時、私、泣いていたんです」
「泣いてた……?」
「泣いていたんです。リネン室で。自分の不甲斐なさを……」

 襲撃の日、アリサはリネン室で泣いていた。
 結局、医学の知識がないアリサは、雑用しか出来なかった。
 備品を倉庫から運んでは補充して、大量の洗濯物を干しては、畳んで、それを仕舞って。
 食事の用意を手伝って、配膳も行った。
 着替えを手伝い、徹夜で看病もした。
 アリサの名前で、軍に支援を求めたが、そんな余裕は無いと一蹴されてしまう。
 父にも支援を求めたが、やはり無視をされてしまった。
 そうしてアリサが支援を求めている間にも、怪我人は続々と増えてーー死んでいった。

 知らなかった。アリサがシュタルクヘルト家で息を潜めて生きている間も、前線で敵と戦い、怪我を負っては生死の境を彷徨っている者たちがいる事を。
 一日中、休む間も無く、怪我の治療にあたっている者たちがいる事を。

 ーー自分は、今までどれだけ恵まれた環境で生きていたんだろう。

 命の危険に脅かされず、安全な場所で生きていた。
 父に無視され、兄弟、姉妹、使用人たちに冷たくされるだけなんて、大した事ではなかった。

 その日も、治療中だった若い兵が息を引き取った。
 霊安室に運ばれる遺体を見ながら、アリサは掌を強く握りしめた。

 ーー自分には一体、何が出来るんだろう。

 アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトではなく、ただのアリサには何が出来るんだろう。
 医学の知識もない、後ろ盾もない、何も持っていない、何もないアリサには。

 そう考えながら、人気の無い部屋を探して医療施設内を歩いていると、誰もいないリネン室を見つけた。
 アリサはリネン室の扉を開けると、電気を点けずに中に入った。
 目が慣れてくると、棚には清潔なタオルやシーツが並んでいた。ーーアリサが洗濯して、畳んだものもあった。

「ううっ……ぐすっ……!」

 棚と棚の間に、膝を抱えて座ると、アリサは涙を零した。

 今日死んだ兵は、昨夜アリサが汗を拭いて、言葉を交わした兵であった。
 怪我が原因で熱が出てしまい、兵は苦しそうにしていた。
 アリサは兵の汗を拭きながら、話し相手になった。

 その兵は、元々はシュタルクヘルトの王都にある美術大学の学生であった。
 戦争を早く終わらせて、戦争の悲劇を後世に伝える為に兵になったそうだ。
 大学を休学して、兵士として志願したのはいいが、実際に戦地に行くと、想像を遥かに超えた厳しさがあった。

 生死、暴力、掠奪、陵辱。
 平和なシュタルクヘルトの王都で育った者にとって、戦場がそんな人道に叛く行為が横行する場所だと知った時、衝撃は計り知れないものだった。
 そうして、兵はショックを受けている間に、敵軍から銃撃を受けて、重症を負ってしまったらしい。
 ここに運ばれて来た時は、生きているのがやっとの状態だったと、兵の死後に教えられたのだった。

 兵はアリサを看護師の一人としか思っていなかったようだが、アリサには戦争とは無関係な場所に行って、好きな人と共に幸せになるように言い残した。
 その後、症状が悪化して、翌日息を引き取ったのだった。
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