闇に堕ちる聖女 ―逢瀬は夢の中で―
 勇者の末裔にして、当代騎士団長であるレイの屋敷は、豪奢なものではなかったが、機能的で手入れが行き届き、調度類も趣味のよいものだった。だが、使用人が少ないせいなのか、どこかひっそりと、声を出す事がはばかれるような静謐さがあった。

 レスカーテの生まれ育った神殿の静謐さとは異なる、何かにおびえているような静けさは、当主のレイの持つ雰囲気とは異なるもののようにレスカーテには思えた。

「執事殿」

 レスカーテは、歩調を落として前を歩く初老の使用人に声をかけた。

「はっ!! いかがなさいましたか?」

 執事は驚いて足を止め、びくびくしながらレスカーテを見た。

「先ほど馬車を見かけました、きちんとご挨拶はしませんでしたが、あれは医師殿のものでは?」

 まるで人目をはばかるように、逃げ去るようにして立ち去っていった馬車の中に居たのはレスカーテの見知った人物だった。常であれば挨拶を交わすだろう人物は、声をかけられるのを避けるようにしているようにも見えた。

「どなたか病気でも?」

 答えを持ちながらも、それを言うわけにはいかないというような顔を執事が見せると、レスカーテにはそれ以上問い詰める事ができない。

「大変お待たせいたしました、どうやら行き違いがあったようで、今しがた電信が届きました、レディ」

 邸内で歩ける最速で来たのであろう、若当主のレイが扉の手前で合流してきた。既に室内にいるものだと思っていたレスカーテは少し驚きながら、婚約者の顔を無作法にならない程度に凝視し、そして頭を下げた。

「このような姿で失礼いたします、レイ様、当代聖女のレスカーテと申します」

 自らを聖女という称号もどうかと思うのだが、他にいいようがない、神官長の娘レスカーテと名乗るべきか一瞬悩みながらもその称号を答えたのは、無意識に『聖女ゆえに勇者との婚姻の為ここへ来た』という事を言い表したかったのかもしれない。

 レスカーテは、レイの美しさにわずかにひるんだ。レイの美貌は女の自分が見ても恥じ入るほどだったからだ。

 せめて装束を整える時間があれば、とも考えたが、気に入ってもらおうと考える必要は無いのだと考えたら肩の力がすとんと抜けた。

「あなたがそう名乗るのならば、私もこうなのらねばなりませんかね、当代勇者のレイです」

 輝くような笑顔といってよいはずなのに、どこかあせっている様子があるのは急いで来たせいなのか。

 一瞬、詮索するレスカーテと狼狽えたレイの視線が交差する。

 レスカーテはしまった、と、あわてて目をそらしたが、レイには気づかれたかもしれない、と、思った。
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