夏の花火があがる頃
第7話 言えない事情
 朝起きて、お風呂に入る。

 お気に入りのバニラオイル入りの湯船に浸かり、身体を念入りに洗った。

 昨夜に続いて、雨は止まなかった。

 窓からパラパラと雨音が風呂場に設置しているスモークガラスにぶつかる音がする。

「おはよう」

 お風呂から上がると、寝起きの柏木が大きな欠伸をしながらめぐみのベッドから起き上がったところだった。

 アメリカの出張帰りにそのままめぐみのマンションに寄ってくれたのだ。

 ベッドの脇には、たくさんのお土産が置かれている。

 甘いチョコレートのお菓子や、アメリカでしか売っていないパンケーキの粉、そして可愛いクマのぬいぐるみ。

 まるで娘を溺愛する父親のようだ。

「お風呂あがりってなんかいいね」

「バカ」

「恥ずかしがってないでおいで」

 下着姿のめぐみの手を引いて、彼は自分の入っていた布団の中に彼女を包み込んだ。

「まだ髪の毛濡れてる」

「俺は気にしないよ」

「私は、気になります……」

「甘くていい香り」

 胸元に顔を埋めて、柏木は彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。

 彼の鼻が、めぐみの胸に当たる。

「変態」

「その変態が嫌いじゃないくせに」

 柏木は時折そういった冗談を言う。

 お風呂から上がり、冷え始めた身体が、柏木の体温によって温められていく。

 身体を重ねる訳ではなく、ただ抱きしめるだけの時間。そんな時間だった。

「今日は、お休みなんですか?」

「そうだよ。アメリカで買ってきたパンケーキの粉で一緒に朝ごはん作ろうか」

「いいですね。作りましょうか」

「それともどっか出かけて食べる?」

「出張帰りなのに、出かけて疲れません?」

「おじさん無理だけど、頑張れる」

「おじさん。今日はゆっくりしましょう」

 めぐみが彼の頭を撫でながら言うと、胸元に埋めていた顔を上げて柏木は「倒れたのは大丈夫?」と尋ねた。


「知ってたんですね」

「うん。後輩からメッセージ来てたから。本人の口から聞きたかったなぁ」

「すみません……。心配かけたくなくて……」

「いいよ。でも今後、肝心なことはちゃんと話してね」

「はい」

「うん。よろしい」

「ところで、風邪ひくと困るので、髪の毛くらい乾かしてもよろしいですか?」

「いや」

「なんで?」

「だって、アメリカでずっとめぐみちゃん不足だったんだもん。もう少し充電したい」

「昨日だって、たくさん充電するってしたじゃないですか。今日も一日一緒にいるんですよね」

「それは、それ。これは、これだから」

「なにそれ、意味不明」

 ケラケラと笑いながら、体をよじらせベッドから抜け出そうとするめぐみの脇腹を柏木はくすぐった。

 さらに彼女は笑い転げ、その姿を見て柏木も笑う。

「ほら、ふざけてないで髪の毛乾かして来なさい」

「ふざけたのそっちが最初でしょ」

 ようやく解放されためぐみが、バスルームからドライヤーを持ってきて、ベッドの脇にあるコンセントに差し込み髪の毛を乾かし始めた。

 柏木はベッドから起き上がり、背後からドライヤーを取り上げて、彼女の髪の毛をゆっくりと乾かしていく。

 めぐみの手より少しばかり大きいその手が、彼女の頭を優しく撫で、熱風が一箇所に当たらないようにと気を使う。

 柏木はめぐみを甘やかすのが上手だった。

 人に甘えるのが苦手なめぐみが、こんな風に自然に甘えて傍にいることは非常に珍しいことだった。


 髪の毛を乾かし終えたと確認すると、柏木は再びベッドの中にめぐみを招いた。

 両腕を広げて、めぐみを抱きしめる。

 暖かい。幸せだ。

 そう、今私は幸せ。

 そんな風に心の中で唱えながら、めぐみは瞳を閉じた。

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