魔女見習いと影の獣
 くすみのあるオレンジやピンクを宿した石は、大公国の東西に横たわる山脈から採れる、非常に珍しいジェムストーンだという。ひび割れた表面には白い斑模様が伸び、ただのひとつも同じ外見をしていない。
 ルビーやサファイアなどの宝石には華やかさで劣るものの、落ちついた色味は特に年配の女性から密かな人気を博しているそうだ。確かにリアが持っている石ころ同然のジェムストーンと違って、これらは眺めているだけで目を楽しませてくれる。
 ──それは良いのだが。

「……おかしい、こんなにもエドウィンにお金を使わせる予定じゃなかったはず……」

 大公宮の一室にて、リアはすっかり青褪めた顔で呟く。彼女の前にはジェムストーンが入った丸底の瓶と、購入予定になかった小綺麗な箱がいくつか積まれていた。
 ──ノルベルトの紹介を受けた宝石商は、すぐに荷物を抱えてすっ飛んできた。本当は明日以降に約束を取り付けるつもりだったが、ゼルフォード伯爵に会えるならと少しだけ時間を空けてくれたのだ。
 しかしながらリアとエドウィンの目当てはきらびやかな宝石や装飾品ではなく、アミュレットに使用する質の良いジェムストーン。四つの精霊をまとめて召喚し、その力を集束させるための強靭な石を探すには、各地を渡り歩いている宝石商に相談するのが得策だった。
 ──とは言え宝石商としては、ジェムストーンよりもずっと高価な宝石を売りつけたいのが本音だろう。相手が一貴族ではなく、大公家の血縁であるゼルフォード伯爵なら尚更。
 そんな商人の気持ちをあらかじめ汲んでいたエドウィンは、ほんの少し考える素振りをして、笑顔でリアに告げたのだ。
 「リア、欲しいものはありますか」と。

「いやあ、伯爵様はお目が高い! また稀少な品が入手できましたら真っ先にお知らせいたします」
「ありがとう、今度は屋敷でゆっくり見せてくれ」

 ふわりと微笑んだ若き伯爵を仰ぎ、宝石商の男は眩しげに目を眇めた。おまけに拝むように両手まで合わせてしまっている。今頃、この麗しすぎる貴公子に見合うような品を探そうと、胸中で決意を新たにしていることだろう。
 彼が夢見心地で退室すれば、エドウィンがふと息をついて振り返る。

「リア? どうしました?」
「ど、どどどどうしましたじゃない! 何かいろいろ買い過ぎでは!?」
「ああ、すみません。リアに似合いそうなものをと考えたら、つい興が乗ってしまって」
「何よ口説いてるの!? あ、今の嘘、自意識過剰」

 焦るあまり侮辱に近いことを言ってしまったと、リアは額を押さえつつ発言を撤回する。しかし一方のエドウィンはゆるやかな笑みを浮かべたまま、それについては特に何も言わず。

「精霊術師は──あまり装飾品を身に付けない方がよいのですか?」
「え? いや、そういう習わしはないけど……」

 彼が細長い箱に指を掛け、蓋をそっと開く。そこに入っているのは紫水晶(アメジスト)耳飾り(イヤーカフ)だ。
 縦に連なる大小さまざまなティアドロップは、外の光を吸収しては繊細な光の粒を散らしている。淡く上品な色遣いと、存在を主張しすぎない小ぶりなデザインは、装飾に明るくないリアであってもつい目を奪われてしまう。

「宝石は、その、身に付けると良いって聞くわ。ジェムストーンと違って、宝石の中には精霊が棲んでるから」
「石の中に?」
「ほら、私たちはジェムストーンに精霊の力を注いで、アミュレットを作るでしょ? あれはジェムストーンが空っぽだから出来ることなの。こういう透き通った綺麗な宝石は、精霊が中に入ってる証拠……って、エドウィン」

 ぶつぶつと宝石とジェムストーンについて説明していたリアは、おもむろに髪を退けられたことに気付いて仰け反った。
 太い三つ編みの上、たゆむ黒髪を内側から手の甲で開いたエドウィンは、どうしたと言わんばかりに微笑む。何も着いていない軟らかな耳朶を、彼の指先がほんの僅かに掠めた。

「特に問題が無いのなら、せっかくですし着けていただけませんか」
「ええ! そ、そんな高い物を……!? 私の耳には分不相応な気が」
「そうですか……リアが要らないと言うのなら、残念ですが捨てるしかありませんね」
「捨てるぅ!? 駄目よ勿体ない、罰が当たるわ!」
「ああ良かった。では着けますね」
「あれ?」

 貧乏性ゆえの失態に気付いた頃には時既に遅し。
 くすくすと笑ったエドウィンが紫水晶の耳飾りを手に、リアの耳殻をやわく摘まむ。

「失礼します」

 細い金のリングが耳輪(じりん)の曲線にぴったりと嵌まれば、広い耳垂から紫水晶が雨粒のように揺れた。白い頬と黒髪に淡い紫の光が幾重にも映ったところで、エドウィンはもう片方の対になった小さな飾りを左耳へ着けていく。
 その間じっとしているしかないリアは、そわそわと視線を彷徨わせた後、唸りながら顔を覆った。

「くっ……やっぱり都会の男はこういうの手慣れてるのよ……」
「まさか。五年も戦場にいたのに」

 両手首を優しく掴み下ろされ、リアは火照った顔をエドウィンの前に晒してしまう。
 異性から綺麗な装飾品を贈られたことはおろか、手ずから着けてもらった経験など初めてだ。どうしても滲み出てしまう羞恥をやり過ごそうにも、真っ直ぐに注がれる菫色の双眸がそれを許さない。
 じっくりとリアの顔を眺めたエドウィンは、やがてその笑みに更なる慈愛を添えた。

「昨日、必死に助けてくださったお礼です。とても似合っていますよ」
「うぅ……あ、ありがとう……」

 この耳飾りが揺れて輝くたび、今の静寂を思い出してしまいそうだ。リアは言葉にならない悶えと共に、ずるずると後退したのだった。

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