夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜


 次の日。
 薬が効いたのか、熱は下がりはしたけどまだ微熱があり、なにより咳がひどいので、仕事は休むことにした。
 いつも私が作る朝ご飯は、今日は太一が作ってくれた。トーストと目玉焼き、インスタントのスープ。私の分はおかゆにしようか、と言ってくれたけど、太一と一緒のメニューにしてもらった。
 玄関で見送ろうとしたら布団に突っ込まれてしまい「病人は寝てろ」と凄まれた。
 凄むのが可愛くて笑ったら、怒りながら出て行った。
 男らしく振る舞いたいんだな。まだ可愛いのに。
 思い出し笑いをしながら、布団の中でぬくぬくしていたら、いつのまにか眠ってしまっていた。



 ピンポン、ガチャン、バタンと音がして、目が覚める。
 目覚めたままぼーっとしていた。部屋の中が暗い。そんなに時間が経ったのかな。
 時計を見たら、6時だった。そりゃあ暗いよなあ、と思ったら襖が開いて、太一の影が現れた。
「……誰か来たの?」
 太一は逆光でもわかる仏頂面をしていて、低い声を出した。
「……昨日のイケメン」
「イケメン……?」
「真理子先生の子ども」
「……は……?」
 どうして久保田さんが家に来るのよ。用事もないし、なにかあるなら電話くらい来るんじゃないの。
「連絡が取れないから、心配して来てみたって言ってる」
「連絡が取れない……?」
 枕元にあったスマホを手に取る。
 何を押しても、うんともすんとも言わない。
「……ああ、バッテリー……」
 呆然と呟く私に、太一が困った顔で言う。
「寝てるから帰れって言ったんだけど。本当に寝てるだけかって、意識がないんじゃないのかってうるさいから。どうすんの」
「あ……出る」
 体を起こして布団を出る。
 パジャマでスッピンだけど、仕方ない。
 会社で着るカーディガンを羽織り、一瞬鏡を見て髪を確認する。肩までの髪はボサボサだ。手櫛で撫でつける。
 あまり待たせる訳にもいかない。

 一つ息をついてガラス戸を開けると、玄関先にいる久保田さんと目が合った。
「良かった、無事でしたか」
「すみません、スマホはバッテリーが切れたみたいで。朝からずっと眠ってて、気が付きませんでした」
 本当に、1度も起きなかった。
 こんなに眠ったのは久しぶりかも。
 久保田さんは、ホッとしたように笑った。
「午前中にメールを送ったんですけど反応が無いから聞いたら休みだって言われて。昼過ぎと夕方に何回か電話したんですけど出ないし、さすがに心配になっちゃって」
「本当にすみません。わざわざ来ていただいて、ありがとうございました」
 言いながら頭を下げる。
「いや、勝手に心配しただけですから。こちらこそ押し掛けてすみません」
 ええっと、こういう時は、上がってもらってお茶くらい出した方がいいんだろうか。
 と思っていたら、横の台所で、ぶしゅう、と音がした。鍋から、何かが吹きこぼれている。
 慌てて火を止めた。味噌汁らしい。
 いい匂いが鼻から入ってくると、私のお腹から凄い音が出てきた。
 朝からずっと眠っていたから、何も食べていない。お腹が空いているのだ。
 聞こえちゃったかな、久保田さんに。と思った時、玄関から同じ音が聞こえた。
「え……」
 今の、久保田さん?
 久保田さんの、お腹の音?
「あ……」
 久保田さんがお腹を押さえている。
 ほんのり赤くなった頬は、妙な色気を発している。
 久保田さんは、照れ臭そうに笑った。
「今日、時間なくて昼抜きだったので……すみません」
「あ、いえ……」
 私も同じ音を聞かれてしまったかと思ったら、顔がほてってきた。
「あ、あの、よろしければ上がってお茶でもどうぞ」
「えっ」
「わざわざ来ていただいたし、このままここで話すのも……」
「いや、もう帰りますから、お構いなく」
「でも」
「上がれば?」
 突然、背後からガラガラ声が割り込んできた。
 振り向けば、仏頂面の太一が立っている。
「寒いし、このままでまた熱が上がっても困るから」
 顔と同じような口調。
 招いているようには、とても聞こえないんだけど。
「あの、どうぞ。ほんとに、あの、嫌でなければ」
 私が焦って言うと、久保田さんは私と太一の顔を見比べて、少し笑った。
「じゃあ……お言葉に甘えて、お邪魔します」
 やっぱりこの人の笑顔はいい、と思った。



 座椅子を隣の部屋に入れて、座布団を出す。
「どうぞ、座ってください」
 久保田さんに座ってもらい、お茶を入れようと台所に立った。
 けど。
 お茶っ葉なんて、あったっけ?
 戸棚や引き出しを適当に開けてみるけど、全然見つからない。
「……やるから」
 横に立った太一は、調味料のストックが入ってる引き出しから、一杯ずつ入れるドリップコーヒーを出した。我が家にしては珍しいそれは、隣の家の大家さんからのもらいもの。
 太一が、視線を居間に送って、私に目を向ける。『相手をしろ』と言っているらしい。
「ありがと。ブラックでいいと思うから。よろしくね」
 微笑んで言うと、無言で頷いた。

 居間のいつものところに座る。
 久保田さんは、特等席で正座していた。
「狭くてすみません。楽にしてください。コーヒーで大丈夫ですか?」
「はい」
「今、太一が持ってきますから」
 そう言うと、久保田さんは台所を振り返った。
「お子さんが入れてるんですか?」
 ガラス戸は閉まっているから、太一の姿は見えない。
「お恥ずかしいんですが、あの子の方が上手いので……」
「へえ……」
 ほんと、太一がいないとコーヒーを見つけることもできない。
 苦笑して、それから思い出した。
「あの、メールの用件を伺ってもいいですか?」
 そう、久保田さんは午前中にメールしたって言ってた。
「ああ、昨日の打ち合わせの変更が先方から来たんですよ。急ぎではありませんので、出勤してからで大丈夫です」
「すみません、明日は行けると思いますので、朝一で確認します」
「よろしくお願いします」
 2人で頭を下げ合っていたら、太一がカップを持ってきた。
 コーヒーは久保田さん、私にはハチミツミルクのカップを置く。
「ありがとう」
 久保田さんがにこやかに言ってくれたのに、太一はちょっと頷いただけで、無言で台所に引っ込んだ。
「すみません、愛想がなくて」
 焦って言うと、久保田さんはハハと笑った。
「今5年生でしたっけ。気にしないでください」
 そしてコーヒーを一口飲んだ。
「おいしいです。お世辞抜きで」
 褒められた。自分のことより嬉しい。
「ありがとうございます」
 顔が綻ぶ。あんまり素直に喜ぶのも恥ずかしくて、ハチミツミルクを飲んでごまかした。
 ハチミツミルクもおいしかった。

 その後、メールの内容の話になった。社内用のメールはここでは見られないから、口頭で修正内容を聞く。確かに、急ぎの内容ではない。
 久保田さんはシステム課を経験してるから、その判断は信用できる。頼りになるなあ、と素直に思った。

 少し話していたら、いい匂いが漂ってきた。
 この匂いはめんつゆかな、ああ、お腹空いてたのを忘れてた。
 と思ったら。
 再び、お腹の音がした。
 でも、私じゃない。
 じゃあ……。
「……すみません」
 苦笑して、久保田さんが言う。
「いい匂いですね」
「ほんと。多分親子丼だと思います」
「親子丼、を、お子さんが作ってるんですか?」
「はい。病み上がりには親子丼、て家では定番なんです。食べやすいし、栄養摂れるし」
 ずいぶん前からそうしてきた。
 太一の好物だから、というのもある。ちょっと具合が悪くても、たくさん食べてくれた。おかげで私の心配は減ったし、回復も早かった。
「……5年生で親子丼、ですか。しかも1人で作ってる」
 久保田さんは目を丸くしている。
「そうですね。いつのまにか、やってくれるようになりました。おいしいんですよ」
「へえ……」
「凄く助かってます」
 久保田さんが、私の顔を見て微笑んでいる。
 ドキッとして、頬が熱くなるのがわかった。
 思わず下を向く。

 少しの沈黙。

 久保田さんはコーヒーを飲む。
 なんか、いつもと雰囲気が違う気がする。
 なんだろう。

 そう思っていたら、ガラッと戸が開いた。
 太一が仏頂面で立っている。
「ご飯、できたから」
 そう言って、戸を開けたまま台所に戻る。
 久保田さんが、カップを置いた。
「じゃあ、僕は帰ります」
 そう言って立ち上がる。
「あ、あの、ありがとうございました」
 私も立ち上がったら、太一が戻ってきた。
 丼が二つと、茶碗が一つ。
 卵の黄色が綺麗な親子丼。
「……3人分」
 ぶっきらぼうに言って、トントントンと置いていく。
「お腹の音、こっちまで聞こえてきたから」
 言いながら、ぽかんとしている久保田さんと私の間をすり抜けて、また台所に戻って味噌汁をよそっている。
 お椀が二つ、マグカップが一つ。
 家には2人分しか食器がないから、こうなってしまうんだろう。
 私は慌てて言った。
「あ、あの、食べて行ってください。3人分作ったみたいだし」
 久保田さんは、さすがに戸惑っているようだ。
「昨日のお礼に、って、なるかどうかわかりませんけど……ご迷惑でなければ」
 太一のご飯は本当においしいから、食べてほしいと思った。
「……いいんですか?」
 遠慮がちに聞く久保田さんに、私は力強く頷いた。
「ぜひぜひ、どうぞ」
 そんな会話をしている横で、太一は黙々と食事の支度を進めていた。
 親子丼、味噌汁、切り干し大根の煮物、白菜とキュウリの浅漬け。
 座り直した久保田さんは、それらを食い入るように見ている。
「あ、そういえば、アレルギーはありませんでしたか?あと苦手なものとか」
「大丈夫です。アレルギーはありませんし、好き嫌いもありません」
 私も座って、最後に麦茶とお手拭きを持ってきた太一が座った。
 太一の前に、茶碗とマグカップがある。
「ねえ、お母さんあんまり食べられないと思うから、そっちでいいよ」
「……昼も食べてないみたいだし、お腹空いてんじゃないの」
 太一はぼそっと言う。
「うん、でも病み上がりだし、そっちのがちょうどいいと思う」
「……ならいいけど」
 器を交換する。
 箸は二膳。久保田さんは割り箸だ。
「食べましょうか」
 太一がだんまりだから、空気が重くなりそうで、私は明るめに言った。
 久保田さんは手を合わせて、しっかりと言う。
「いただきます」
 まずは味噌汁を一口。
 どうかな、口に合うかな。
 私が作った訳じゃないけど、ドキドキしてしまう。
 久保田さんは、上品な仕草でお椀を持っている。
 味噌汁を飲み込んで、一言こぼれるように出た。
「おいしい」
 ホッとして太一を見ると、無表情を装っているけど、嬉しそうなのがわかる。
 良かった。普段は私しか食べないし、おいしいとは思ってるし言ってるけど、他人に言われるのはまた違う。
 久保田さんは、次は親子丼。
「おいしい」
 また、こぼれ出た。食べるスピードで、本音だということがわかる。
 嬉しい。おいしそうに食べてくれてる。
 私も太一も手を合わせて「いただきます」をして食べ始める。
 親子丼を口に入れて、ふと気付いた。


 なにこの食卓。
 私史上、一二を争うイケメン(久保田さん)と、私の中では殿堂入りレジェンドイケメン(太一)が、並んで親子丼を食べている……!
 うわあ、こんな幸せがあっていいんだろうか。いや、いいに決まってる。
 きっとこんなことはそうそうない。
 しっかり堪能しないと、絶対に後悔する。
 ありがとう、神様。きっと頑張ってる日常のご褒美ですね。これで半年は頑張れます!

 私は、1人感動をかみしめながら、親子丼を食べた。



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