夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
5.


 次の日。
 よく眠ったせいか、体調はすっかり元通りになって、元気良く出勤した。
 デスク周りを軽く掃除をしていると、中村さんが来た。
「小平さん、もういいんですか?」
「はい、昨日はご迷惑をおかけしました。お電話いただいたのに、出られなくてすみませんでした」
 中村さんも心配して電話をくれていた。
 昨日のうちに、謝罪のメッセージを送ったけど、申し訳なくてもう一度謝る。
 中村さんは、にこっと笑った。
「気にしないでください。早く治って良かったですね」
「ありがとうございました」
 私も笑顔で返す。
 中村さんだけじゃなく、会う人会う人に声をかけられた。

 ここは、良い職場だなあ。
 派遣社員には冷たい会社も多いけど、この会社は優しい。
 でも、派遣社員だけじゃない。正社員にも優しい。全体的に、そうだ。なんならビルの清掃員さんや、宅配便の人にも優しい。
 もちろん、やることをちゃんとやってれば、というのは当たり前。
 だから、気を引き締めて、仕事を開始した。



 昼休み。
 いつも私は、空いていればミーティングテーブルの片隅でお弁当を食べる。
 使用中の時は、ちょっと狭くて背が高いけど、休憩スペースのテーブルで。どこも無ければ自席。
 あったかい季節なら公園に行ってもいいけど、今はちょっと遠慮したい。今のうちから探しておこうかな、と、行き帰りや外出の時に辺りを観察している。

 今日はミーティングテーブルで、お弁当を広げた。
「こっだいらさん」
 リズミカルに中村さんがやって来た。持っているパン屋さんの袋を顔の横に上げる。
「私もご一緒していいですか?」
 中村さんは外に食べに出ることが多いのに珍しい、と思いながら、笑顔で返事をする。
「はい、もちろんです」
 中村さんが持っていたのはサンドイッチとカフェオレだった。
 それからカップのコーンポタージュスープを二つ取り出した。
「良かったらどうぞ」
「わ、いいんですか?」
 中村さんが笑顔で頷く。
「じゃあお湯入れてきますね」
 行こうとする私を手で止める。
「小平さん病み上がりだから、サービスしますよ。待っててくださいね」
 申し訳ない、と思いつつお言葉に甘えた。
 戻ってきた中村さんに、お礼を言って受け取る。
「これはね、差し入れっていうか、お見舞いです。本当は昨日、様子を見に行こうと思ったんですけど、あいつにその役目を取られちゃって」
「えっ……」



 昨日、中村さんが私の様子を見に行こうと帰り支度をしていたら、久保田さんが現れた。
「小平さんのところなら、僕が行きますよ」
「えっ、私が行くからあんたはいいわよ」
「今持ってきた修正、明日の昼には先方に送りたいんです。申し訳ありませんが、急ぎでお願いします。中村さんがメールを見落とさなければ、今頃終わってたと思うんですけどね」
「っ……」
 言葉を失った中村さんを見て、久保田さんは黒く微笑んだ。
「僕も確認不足だったし、責めるつもりはありませんよ」
「……」
 中村さんの鋭い視線も、久保田さんには通じない。
「小平さんの家は、昨日も送って行ったから場所もわかりますし、僕の家も近いから、僕が行った方が効率良いですよ。中村さんは、修正、よろしくお願いします」
 有無を言わせない微笑みに、中村さんは屈するしかなかったという……。



「……って、悔しいからまあ仕事が進む進む。おかげで残業でも8時には家に着いてました」
 サンドイッチを頬張りながら、中村さんは続けた。内容的には日付が変わってもいい作業だった。さすが中村さん。
「なんか、お騒がせしてすみません」
「やだ、謝らないでください。メールの見落としなんて、あいつに弱みを握られるようなことしちゃった私が悪いんですから」
「あいつって僕のことですか?中村さん」
 振り返ると、フロアの入り口に久保田さんが立っていた。
 微笑んでいるけど。黒い。怖い。
 中村さんはなんとも思わないようで、いつもの調子。
「あんた以外に誰がいるのよ」
「中村さんが『あいつ』っていうのは、僕以外だと須藤さんでしょうかね」
「須藤は人の弱みを握って残業させたりしない」
「人聞きが悪いなあ。ミスを事前にカバーし合ったつもりなんですけど」
 私を挟んでのこの会話。どうしたらいいのかわからずに、お弁当のゆで卵サラダを口に入れた。
「何しに来たのよ」
「昨日の修正が先方からOK出たので、そのご報告をしに来たんです。メールでも良かったんですけど、直接の方がいいかと思って」
「そうね、メールだとまた見落としちゃうかもしれないしね。わざわざありがとう。もういいわよ」
 中村さんは冷たく言い放つ。
 これがいつもの対応なんだもんなあ……。
 久保田さんは中村さんに苦笑して、それから私に微笑んだ。黒くない。良かった。
「久保田さん、昨日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ図々しくお邪魔してしまって」
 そして、私の手元で視線が止まる。
「もしかして、それも太一君ですか?」
 お弁当のことだ。
「いえ、これは、半分は私が。この漬物と鶏肉は太一ですけど。鶏肉は昨日、取り分けておいてくれてて」
「へえ……やっぱり凄いですね、太一君」
 久保田さんが感心していると、中村さんが尋ねてきた。
「太一君て、息子さん?」
「はい」
「お弁当を作るんですか?」
「いえ、あの子が作るのは平日の夕飯で。あとは私が。たまにジャンケンしますけど」
「あれ?いくつでしたっけ?」
「11歳です。5年生」
「えっ5年生で夕飯を作るんですか?」
「おいしかったですよ」
 割り込んできた久保田さんはにこにこしている。
「なんであんたが知ってるのよ」
「昨日、ごちそうになったので。親子丼」
 えっ!と中村さんが私を見る。
「あの、ちょうど久保田さんがいらした時に出来上がったので……」
「ずるい」
「へ?」
「ずるい……やっぱり私が行くんだった」
 中村さんが悲しそうだ。
 そんな風に反応されるとは思わなかったので、戸惑う。どうすればいいんだろう。
 そうしたら、久保田さんがニッと笑った。
「残念でしたけど、仕方ないですよ。中村さんは残業だったんですから」
 明らかにからかっている。
 中村さんは、再び鋭い視線を久保田さんに向ける。
「用事は終わったんでしょ。もう帰んなさいよ」
 私は怖いと思うけど、久保田さんはどこ吹く風だ。いつものことだからに違いない。
「太一君に、昨日はありがとうって伝えてください」
「あ、はあ……」
 中村さんに当て付けているようにも聞こえて、曖昧にしか返事ができない。
 久保田さんは、黒い笑顔で「それじゃ」と戻って行った。
 後に残されたのは、悔しがっている中村さん。
「ちっ……あいつ、もしかして……」
 何かぶつぶつ言っている。
「中村さん、あの……」
 ちょっとでも雰囲気を和らげたくて、話しかけてみた。
 中村さんは、じいっと私を見る。
 な、なんだろ。
「あ、あの……こ、今度、中村さんも遊びに来てください……」
 微妙な笑顔になってしまった私の言葉に、中村さんは目を輝かせた。
「いいんですか?」
 あれっなんか可愛いな。太一の友達に「上がっていきなよ」って言った時の反応に似てる。
「私、社交辞令とかじゃなくて、本当に行きますよ。いいんですか?」
 凄い勢いで聞かれるので、押されてしまう。
 でも、嬉しい。私も社交辞令で言ってるんじゃないから。
「いいですよ。今の仕事が落ち着いた週末にでも」
 中村さんは、本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
 私も笑顔を返して、楽しくおしゃべりしながら昼休みを過ごした。





 昨日休んだ分の遅れを取り戻すのは、なかなか大変だ。
 明日少し早く来よう、と定時で帰った。

 帰ると、太一が夕飯を作っていた。
 今日のメニューはなんだろう。長ネギを刻んでいる。見ただけじゃわからない。
「ねえ太一、今日のご飯……」
 ピンポン、とチャイムが鳴った。
 まだ靴も脱いでなかった私は、ドアを振り返る。誰だろう。
 同時に、コンコンとノックされた。
「歩実ちゃん、私よ」
 大家さんの声だ。
 素早くドアを開ける。
「こんばんは、弥生さん」
 大家のおばあちゃん、弥生さんは、申し訳なさそうに眉を寄せている。
「おかえりなさい歩実ちゃん。帰ったばっかりなのにごめんね」
「いえ、どうかしましたか?」
「それがねえ……」

 この後弥生さんから聞いたのは、目の前が真っ暗になるような話だった。



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