銀の系譜

 ここに連れ込まれて何日たったのだろう。
 意識が朦朧としている。

 アレクシスは今、地下室の固い石床の上で横になっていた。

 与えられたのは粗末な食事が三度だけ。量は少量、それも不規則に与えられた。
 毎回、野菜くずが浮かんだ粗末な汁物(スープ)と拳よりも小さな大きさの麵麭(パン)が一つだけ。

 麵麭(パン)は空腹にまかせていきおいよくかじりつけば歯がかけそうなほど固く、汁物(スープ)にひたさなければ食べられたものではなかった。
 汁物(スープ)だって塩ですこし味付けしただけで、とても美味いといえる代物ではなかった。

 最初の一回目は、食べることを拒否した。
 すると一日以上だっても食事は下げられず、やってきた見張りにアレクシスが文句を言うと、それを食べない限り、新しいものは出さないと言われた。

 こんな粗末な食事だれが食べるかと意地をはっていられたのも、しばらくの間だった。

 空っぽになった胃はやがて耐えがたいほど痛みだし、アレクシスは固い麵麭(パン)を野菜くずの浮いたくさりかけた汁物(スープ)にひたし、腹を空かせた犬のようにむさぼった。

 腹に入ればなんでもいい。味は気にしていられなかった。

 アレクシスが食べるのに夢中になっていると、いつの間にか部屋に入ってきたグイードが言った。

 惨めなものだな、と。

 床に直接座り、椀を抱え込むようにして食べていたアレクシスは、咀嚼するのをやめ赤面した。
 くさりかけた汁物(スープ)を必死で食べる自分の姿が、他人から見れば浅ましいものだと自覚はあった。

「この屋敷に飼われている猟犬だって、もっとまともな餌を与えられている。そんな泥水と区別のつかない汁物(スープ)、街をほっつき歩いてる犬だって食べはしないだろうな。だがまあ、空腹に自尊心をなくしたガキには、ちょうどいいご馳走か」
 アレクシスの頭に血が上る。膝の上の椀をひっくり返して立ち上がった。
 男の前まで行ったが、足かせが邪魔をしてもう少しのところで手がのびない。
「こんなのを渡してきたのはお前だろっ!!」
 アレクシスは、床に散らばった汁物(スープ)と食べかけの麵麭(パン)を指さした。
 男が冷笑した。

「そんなものでも、喉から手がでるほど欲しがる人間がいる。今日の糧にもことかき、明日の朝日を望めぬ人間がな。王都の壁の外に、そんな人間たちが暮らしているのを知っているか?」
 王都の城壁の外にへばりつくように、貧しい者達が集まり、ひしめき合うようにしてて暮らしている場所があると知っていた。だがそこは、勝手に領地を逃げ出した農民やスリ、それに強盗、金のためなら簡単に人を殺すような、まともではない人間が住む場所だ。

「そんなこと、俺には関係ないだろッ」
「そうだな、お偉い貴族様たちには関係ないことだ。だが、私とフィネはそこで育った。なぜだと思う?」
「知るかっ、そんなこと!!」
「そうだろうな。ヒルシュ家は武勲によって名を立てた家だ。戦争による功績でわずかな領地と爵位を賜った。名ばかりの貴族だ。それが曾祖父の代に商売をはじめ軌道にのった。だが私の父には商才がなく、それでも贅沢な暮らしを続けようと方々に借金をした結果、ヒルシュ家は貴族としての体面も保てぬほど零落し、領地を売り払った。三代目の苦労知らずの当主が失敗する何て、商家ではよくある話しだがな」
「アンタの不幸自慢なんて、オレには関係ない」

「そうだな。だが、私もフィネも何もしていない。親が失敗しただけだ。それなのに、貧民窟での暮らしを強要された。
 だがお前はどうだ? お前の父親は元々諸国を渡り歩く傭兵だった。それが王に気に入られたというだけで、家名と実り豊かな領地を下賜され、貴族としての生活を保障された。
 その男の子どもに産まれたというだけで、お前は裕福な暮らしを与えられた。しかもお前の兄ときたら、冬の寒空に捨てられ、次の日の朝には死んでいてもおかしくなかったというのに、貴族となった男に拾われその養子(こども)となり、貴族としての教育を施され、今では人もうらやむ立派な近衛師団長様だ」
「何が言いたいんだよッ」

 男が、顔に一つきり残された漆黒の瞳で、アレクシスのことを睨んでくる。その瞳には、深い憎しみが宿っていた。それは今、アレクシスにむけられている。
 だがなぜ、この男に憎まれねばならない?
 フィネを殺したのはアルフィーナであって、アレクシスではない。

「どこに生まれたか、生まれてすぐ誰と出会ったかでその後の人生が大きく変わるなんて、世の中は不公平だとは思わないか?」
「それはオレのせいじゃないだろッ」
「そう。だがな、恵まれた立場に生まれたというだけで、奴らは弱い立場の者から、それが当然という顔をして奪っていく。
 フィネが殺された時、テオドールの奴は何もしなかった。王都の治安を守る王都軍を任された将軍だと言うのにな。
 もしそれが逆だったら、もし私がアルフィーナの奴を殺していたら、ただではすまなかっただろう。すぐに捕まり、拷問の後、数日後には王都の大広場で見世物として処刑されていたに違いない」

「当然だろっ、どんなにいけ好かないといっても、出自に疑惑があるといっても、あいつは王族だ。王族殺しは大罪だ。その犯人を罰さなければ、国民に対して示しがつかない」
「そう。だがそれは強者の理論だ。自らに牙を向けた者を悪とし、罪罰を与える。その逆は?
 奴らは弱者を傷つけても責任を取らない。それどころか当然という顔をして、財産どころか命までも奪っていく。貧民窟にはそうやって搾取され、あと奪われるものは命しか残っていないような人間ばかりが集まっている。
 そして強者は、そんな奴らを虫ケラ以下の存在として扱い、死んだところで気にもとめない。
 テオドールはお前の兄を嫡子とした。血を分けた子であるお前がいると言うのにな。
 お前の兄は、たまたま運良くテオドールに拾われただけ。それだけでその幸運を手に入れた。
 お前は、兄に奪われているばかりでいいのか? 悔しくはないのか?
 お前の父はなぜ、お前を認めない。お前を軍に入れ、兄以上に優秀だとわかったら、兄の面目が立たないと思っているからではないか?」
「違うっ!! 親父はそんな人間じゃないッ!!」
 アレクシスは叫んだ。
 これ以上、男の言葉を聞いていたくなかった。

「まあいい。私と賭けをしないか?」
 男が冷たく笑って言った。
「どんなだよ」
 アレクシスは横をむき、男から視線をずらして応えた。

「簡単だ。私はお前を捕らえたことをお前の兄に連絡する。お前の兄はそのことをすぐに父に報告するだろう。確かな証拠さえあれば、お前の父はこの屋敷を捜索できるだけの権限を持っている。二人はどうすると思う?」
「当然、親父と兄上はおれを助けにくる」
 当然だ。この男は何を馬鹿なことを言っている。父と兄が自分を見捨てるはずがない。

「そうかな? お前の父と兄がアルフィーナを擁立すると決めたとしても、今はまだ味方がいない。今の時点でエーファと事を構えるのは得策ではない。
 お前は次男だ、優秀な長男がいる以上、いなくなっても問題はない。
 それにお前の兄からすれば、テオドールが自分を嫡子に決めているとは言え、テオドールの実の子であるお前がいるのは目障りだろう。
 二人そろって口をつぐんで、お前を見捨てる道を選ぶと私は思うがな」
「そんなこと、するわけあるかっ!!」
 アレクシスは、男にむかって怒鳴った。

「二人がお前を助けにくれば、私の負けだ。大人しくテオドールに捕まろう。だが、二人がお前を助けにこなかったら」
 グイードが唇の片端を持ち上げ、いやらしく笑った。
「どうするんだよッ」
「お前を殺して、お前の死体をお前の父と兄に送りつけてやる」
「はぁっ!?」
 突拍子もない賭けの内容に、アレクシスは口を大きく開いた。
「私は負ける気はしていないがな」
 アレクシスの応えを待たずに、グイードは自信たっぷりに笑うと、地下室を出て行った。




 グイードが地下室を去ってから、どれほど日にちがたったかは分からない。
 多くても四、五日というところだろうか。
 粗末な、それも十分な量のない食事しか与えられず、アレクシスは空腹と眠気の間をさまよっていた。

 このままでは、遅かれ早かれ死が訪れる。
 刻一刻と、アレクシスの胸を絶望が浸食していく。
 それでも、いつか父と兄が助けに来てくれるという細い一本の糸のような希望が、命をつないでいた。

 鍵の開く音がして、アレクシスはまぶたを持ち上げた。
 扉が開いて人が入ってくる。
 自分の前に立った男を、視線だけを動かして見上げた。
 グイードだった。

 アレクシスは目をつむる。
 男が視線を向けているのを感じた。

「お前の、母の形見の首飾り、あれをユストゥスに送って数日経ったが何の反応もない。
 お前の父に探りをいれてみたが、お前はしばらく前に家を飛び出し、帰ってこないと答えたそうだ。
 二人ともいつも通り出仕して、滞りなく仕事をしているらしい。
 アルフィーナは昼間、王都を見物したり、まだ王都にいた頃、交流のあった貴族の屋敷を訪れたりしているそうだ。
 もし、お前が殺されたとしても、勝手に出て行った次男が、野垂れ死にしただけだと言い訳がたつ。父と兄に見捨てられたな」

 アレクシスはゆっくりと目を開ける。
 男がアレクシスの隣に腰を落とした。
 漆黒の瞳が面白そうに笑っている。
 父と兄は、非情な人物ではない。
 男の言うことは嘘に決まっている。アレクシスをからかって、その反応で楽しもうとしているだけだ。

「どうだ? 強者によって自分の存在を簡単に踏みにじられる気分は?」
 アレクシスは目を閉じた。
 耳から入ってくる言葉は無理でも、視界からだけでも男の存在を拒絶してしまいたかった。

「まあ、父と兄が助けに来ないのであれば、お前はこのままここで飢え死にするだけだ。そうなったら私は、お前の死体をお前の父と兄に送りつける。
 私の言葉を信じるかどうかはお前の自由だ。
 最期まで父と兄を信じて待ち続けるか、見捨てられたと二人を恨んで死んでいくか、好きな方を選ぶといい。
 私が次に来る時までお前が生きていたら、また会おう」
 そう言ってグイードは、地下室を出て行った。
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