銀の系譜
1章

 翌朝、東の空の端が地平線の下で夜明けをまちわびる太陽によって深い藍色に染られ、西の空の星々の瞬きが弱々しく残るころ、アレクシスとアルフイーナの二人は村を後にした。

 それから三刻以上、二人は会話もなく馬を進めていた。

 太陽は中天にさしかかり、上から照りつける夏の日差しが、馬上のアレクシスの肌を焼いていた。
 父親譲りの漆黒の髪は熱をよく吸いこみ、暑さを倍増させる。短く刈りこんだ頭髪の間をぬって額へと滴り落ちてきた汗を、アレクシスは腕でぐいとぬぐった。

 アルフイーナは街道は通らず、夏草の生い茂る草原の中をつらぬく人気のない道を選んだ。

 代わり映えのしない風景。

 乾いて赤茶けた土をむき出しにした道の先に目をやれば、道は緩やかに蛇行しながら細くなり、やがて緑の大海原の中に消えて言ってしまう。
 左手、はるか遠くには頂きに雪をのせた北部山脈が急峻な峰々を連ね、地平線の上に蒼い影を落としている。
 隣を行くアルフイーナは馬上に凛と背筋を伸ばし、アレクシスのことを見ようともしない。

 兄には、追っ手がかかる可能性がある、とにかく急げと言われた。
 それなのにこの男は。

 馬を並足で進めたまま、少しも急ぐ様子がない。
 アレクシスは、隣のアルフイーナのことを睨む。
 すると突然アルフイーナが馬をとめた。

 アレクシスは慌てて馬の手綱をひく。アルフィーナから半馬身ほど前に出たところで、アレクシスの馬はとまった。
 突然の行動に抗議しようと、アレクシスは後ろを振り返った。

「おいっ」
「前に三人、後ろに二人いるな」
 アレクシスのことは無視して、正面を見たままアルファーナが言う。

「どこにいると言うんだ。何も見えないぞ」
 首を巡らし、アレクシスは周囲を見る。
 赤茶けた土をむき出しにした道と夏草の生い茂る草原、それとはるか遠くに見える北部山脈の山影以外、見えるものは何もない。

「全部で五人。俺一人なら何とかなるが、お前を守ってとなると正直厳しいな」
 アレクシスのことは見ずに、アルフイーナが独り言ちた。

 自分の剣の腕を過信した傲慢な物言いに腹が立つ。

「気のせいじゃないか」
 アレクシスが言うと、アルフィーナはふんと鼻を鳴らし、アレクシスのことを見た。

 その凍てついた冬の湖を思わせる蒼氷色の瞳は常にもまして冴え冴えと澄み渡り、アレクシスを馬鹿にする気持ちを隠そうともしていない。

「お前っ!」
 アレクシスの怒りに火がつく。

「黙っていろ」
 アルフイーナは冷然と言い放ち正面をむいた。

 馬上に姿勢良く背を伸ばし道のはるか先を見つめるアルフイーナの姿に、隙はない。
 その様は、アレクシスと言葉を交わす気はないとはっきりと伝えてきていた。

 アレクシスは口を引き結び、腹立ちまぎれに軽く下唇を噛んで前をむいた。
 村を出てからこのかた代わり映えのしない風景以外、何も見えない。

「アンタの気のせいじゃないか?」
 振り向いて、アルフイーナに笑って見せる。
 少しだけ眉をよせ、アルフィーナはアレクシスのことを流し見ると、
「よく見てみろ」
 と言って、神経質そうに細くとがった顎をしゃくって道の先を示した。

 アンタが気にし過ぎなだけだろと言いながら、自分の言葉を肯定しようと、アレクシスは前をむいた。
 道の先に小さく土煙がけぶっているのが見えた。

「えっ⁈」
 っとアレクシスは小さく驚きの声を上げた。
「あれって……」

「昨日の今日だ。エーファが差し向けた刺客と考えるのが妥当だろう」
「どうするんだ?」
「どうするも何も」
 アルフィーナが軽く肩をすくめる。

「むこうがその気なら、受けて立つしかあるまい。大人しく殺されてやるほど俺は人がよくない。
 いいからもう黙れ。それと奴らの相手は俺がする。お前は手出しするな。お前の剣の腕では邪魔になるだけだ。
 俺が逃げろと言ったら、お前は俺にかまわず馬を走らせろ。奴らの狙いは俺だけだ。お前のことなど深追いすまい」

 あまりの言い方に怒ったらいいのか呆れたらいいのか分からずアレクシスの口が開いた。だが、自分のことを侮っているのは間違いない。アレクシスは反論した。
「俺は兄貴に、アンタを無事王都まで連れてこいと頼まれたんだ。アンタを放って、俺だけで戻れるかっ!」
 言いつのるアレクシスのことを冷たく見すえ、アルフィーナはふん、と鼻をならし正面をむいた。

 それ以上話すことはないと言う明確な態度に、アレクシスは腹が立った。
 だが、優先すべきはアレクシスの気持ではなく、兄の言葉を守ることだ。腹立ちを抱えたまま、とりあえずは刺客に集中しようと頭を切りかえて前をむく。

 道の先に見える土煙が、わずかに大きく色濃くなっていた。
 近づいてきている。
 アレクシスは手綱を強く握ると、音を立てて唾を飲みこんだ。

 実戦は初めてだ。

 次第に大きくかつ色濃くなっていく土煙にアレクシスの心臓が高鳴り出す。
 アレクシスの緊張に呼応したかのように、騎馬が前脚で土をかき、荒々しい鼻息とともに首をふった。

 草原を渡る風に揺れた夏草が、うるさいほどに葉擦れの音を立てている。それに混じって、途切れ途切れに地面を蹴る蹄鉄の音が聞こえてくる。

 敵はもうそこまで来ている。

 はっきりと見えるようになった土煙の中に、三騎の姿をみとめた。
 騎馬は一直線にこちらに進んでくる。馬上の男たちは一様に漆黒の衣装に身を包んでいた。
 男たちはやってくるとアレクシスの正面、三尋程離れたところで馬をとめた。

 真ん中の男が半馬身ほど馬を前に出す。男は左目を眼帯で隠していた。
 男は右手で軽く眼帯をなぜると、一つきりの瞳でアルフィーナのことを憎々しげに睨みつけ、アルフィーナにむかってわざとらしく礼をした。

「これはこれはアルフィーナ殿下。ご健勝そうで、何よりでございます」
 馬上で顔を上げながら男が言う。
「グイードか」苦々しげにアルフイーナが応えた。

「さようにございます。お会いするのは、七年ぶりでしょうか。このような下賤の身、あなた様のような尊きお方のご記憶にはすでにないものと存じておりました。ですがあなた様の心の片隅にでもとどめおいていただけていたようで、光栄の極みでごさいます」

「戯言はやめろ。白々しい」アルフイーナは不快そうに細く形のよい眉をよせた。「それより、エーファの下にいたとはな」

「意外に思われますか?」
「いいや。この国で積極的に俺を殺そうとしている人間はエーファくらいのものだ。エーファには策を現実にするための十分な富と力がある。お前が俺に復讐したいと思っているなら、もっともな選択だ。だが、昨日俺に差し向けた刺客程度で、俺を倒せると思っていたのか?」

「いいえ。昨日、貴方を訪れた者たちは、私の考えではなく、主の意向で差し向けられたものです」
「よくお前は承知したな。昨日の奴らが成功していたらどうするつもりだった? 他人に俺を殺させてやるほど、お前の復讐とは軽いものなのか」

「まさか」男は大仰に肩をすくめ首をふった。「復讐とは自分の手で為してこそ心満たされるというもの。貴方の命を他人に渡すつもりはありません。それにあの程度の者たちに殺される貴方ではないでしょう。その点は安心していました。貴方の剣の腕前についてはよく知っていますから」

「ここは褒められてありがたいと、お前に礼をいうべきか」
「それにはおよびません。貴方を憎みこそすれ、褒めるはずがありません。ご自身に対する十分すぎる以上の自信と高慢までな尊大さは相変わらずでございますね」

「人は簡単には変われまい。それに俺も変わるつもりはない。それよりユストゥスは、お前がエーファの下にいることを知っているのか?」
「いいえ。いずれはお伝えしようと考えていますが」
「そして仲間になれとあいつを誘うか? だが、あいつは巫王には逆らえまい。巫王が俺の立太子を望むのであれば、あいつは俺につく。兄のように慕っていたお前が敵になると知れば悲しむだろうな」
 アルフイーナは唇の右端をわずかに上げ、皮肉げな笑みを浮かべた。

「ええ。ですが、貴方がここで死ねばどうでしょう?」
「王族殺しは叛逆につぐ大罪だ。俺は王に嫌われているが、だからと言ってそれを放っておけば王家の威厳に傷がつく。俺が死ねば王が黙ってはいまい。だがこんな場所だ。ここで俺を殺し盗賊の仕業とごまかすか? そうすればエーファに王族殺しの嫌疑がかかることはなく、俺を擁立しようとする巫王の意図は崩れ、ディーデリヒが立太子されるだろう。
 ユストゥスは王家の後継者争いに巻き込まれることなく、すべてが平和裡にかたづくな。俺一人がここで死ねばよいとお前は言うのか?」

「ごもっとも。そうは思われませんか? アレクシス様」
「っえ、あっ、それは……」
 突如として話しかけられ、アレクシスは戸惑う。

 兄からはアルフィーナを王都に連れてこいと頼まれたが、そもそもこの男いけ好かないがいなければ今の騒動はないのだ。
 兄は巫王の言に全面的に従うようだが、この男を擁立し王位継承争いに敗れたら? 敗者となったアイゼンフート家に科が課されるのは間違いない。
 家のことを考えれば、巫王に従うのは得策ではないのではないか。

 兄はアルフィーナの王都への帰還を望んでいるが父は?

 兄はアレクシスの年の頃にはすでに王都軍で中隊長を任されていたと言う。対してアレクシスは、実力不足だといまだ父から軍隊に入る許可を得られていない。
 今回のことは現在近衛師団の師団長を務めている兄に、ひいては王都軍将軍である父に認められたくて引き受けたことだったが、アイゼンフート家の存続を考えた時、何が正しいのか。兄の考えにしたがうことが最善なのか。アレクシスは悩む。

「それにあなたが生まれてこなければ、王妃様が儚くなられることもなかったでしょうに」
 アレクシスから視線を外し、男がアルフィーナに笑いかけた。

 アルフィーナが忌々しげに男のことを睨みつけた。

 アルフィーナの出生には一つの噂があった。
 国王が一国を滅ぼし、その亡国から嫁いできたのがアルフィーナの母だった。彼女には故国に愛し合う婚約者がいたが、故国滅亡の際、男は国を守る戦いに身を投じて死んだ。

 王妃は王との間に一子をもうけた。これがアルフィーナだ。だが、輿入れしてからの日数を考えると、産み月がわずかに足りなかった。早産ですむ範囲ではあったがこれが疑惑を呼んだ。

 アルフィーナは王の胤ではなく、王妃と死んだ婚約者との間にできた子だというのだ。

 疑惑は日々大きくなり噂話にたえきれなくなった王妃は、アルフィーナはこの国の王家の血筋をひいいていると証しだてするため王の目の前で自害した。

 が、もう一つ語られている話がある。
 アルフィーナは王妃とその婚約者の間に出来た子だったが、愛する人の子であるアルフィーナを守るため、王妃は命を捨てたと言うものだ。

 どちらの話が真実にせよアルフィーナの誕生がもう少しおそければ、アルフィーナの出生に関する疑惑は起きず、王妃は今でも生きていただろう。

「かもしれないな。だが俺が死を選ばせたわけではない。死を望んだのは彼女自身だ。
 母のことを話して、俺に罪悪感を覚えさせようと? だが、覚えてもいない母のことなど話されても、痛切に感じる理由がない」
「相変わらずですね」グイードが大きくため息をついた。「あなたには謙虚さがない。もう少し、周囲のものに対する思いやりと優しさを学ばれては?」
 ふん、とアルフィーナが鼻を鳴らした。
「俺には不要なものだな」

 グイードの漆黒の瞳に宿る憎しみが深くなる。
「貴様」小さくうなると、グイードはアルフィーナのことを眼光鋭く睨みつけた。「その身勝手までな傲慢さには腹が立つ。お前が王位に就くにはアイゼンフート家だけでは後ろ盾には弱い。アイゼンフート家が力を得るためには、それなりの有力貴族と縁を結ぶ必要があったが、それにはアイゼンフート家の嫡子であるユストゥス様に政略結婚をしていただくのが一番手取り早かった。だがユストゥス様はフィネと婚約した。フィネは何の権力も財力も持たない没落貴族の娘だった。自分が王位に就くのに邪魔だから、お前はフィネを殺したんだろッ‼︎」
「お前がどう解釈しよと勝手だ。だが俺には俺の事情があった。お前が俺に復讐したいと言いうのなら受けて立ってやる。だが俺も自分の命はおしい。手加減をしてやるつもりはない。それでもよいなら、来い、グイード」

「貴様ァっ」
 グイードは叫ぶと剣を抜きアルフィーナに向かって馬を走らせた。
 それに応えてアルフィーナは、剣をぬきざま馬に拍車をかけた。
 二頭の馬が交差した。
 すれ違いざま、二人は剣を打ち合う。

 グイードに加勢しようと黒づくめの男二人が動きかけた。それに気づいたアルフィーナが蒼氷色の瞳で軽く睨めつける。刺客たちと動きをとめる。
 アルフィーナは再びグイードと対峙するが、周囲にも油断なく気を張りめぐらせたアルフィーナには隙がない。
 加勢の機を見つけられずに、二人は困惑気味に顔を見合わせた。

 アルフィーナとグイードは、双方馬首を巡らし、再び向かい合い合った。
 次はどこから襲いかかるかと、グイードはアルフィーナの隙を懸命に探っていた。
 対してアルフィーナは、抜き身の剣を右手に提げたまま、泰然とかまえていた。
 唇の端には余裕めいた笑みまで浮かんでいる。

 実力の差は圧倒的だった。

 三人で向かっていっても、アルフィーナに勝てるのか。
 仲間に加勢するか、勝ち目のない戦いを放棄するか、二人の男たちは迷っていた。

 そしてアレクシスも。

 アルフィーナに味方すべきか、グイードの好きにさせアイゼンフート家の利を一番に図るべきか。
 周囲が判断をつきかねている間も、二人の闘いは続く。

 グイードは馬を走らせ剣を振り下ろしながら、アルフィーナに寄った。

 上段から振り下ろされた剣を、側頭部から額にかけて斜めにかまえた剣でアルフィーナは受け止めた。
 グイードは剣を押しこみはせずに、馬をわずかに後ろにひきつつ剣を下ろし、下から斬りかかった。

 剣身が目指しているのはアルフィーナの脇腹だ。それが決まれば致命傷はまぬがれない。

 だが、グイードの次の動きを予期していたアルフィーナの行動は素早く、グイードが剣を振り上げると同時に、馬を半歩ほど斜め後ろにひいた。

 目標を捕捉できなかったグイードの剣が宙をかく。

 グイードがアルフィーナのことを睨んだ。
 アルフィーナは軽く笑い、馬を一歩出しグイードの横に近づけつつ、上からグイードに斬りかかった。

 グイードは、体の横に斜めにかまえた剣でそれを受ける。
 アルフィーナは無理はせずすぐさま剣をひく。

 すると今度はグイードが、剣を振り上げアルフィーナに叩きつけるが、アルフィーナは軽く上体を斜め後ろにそらして、グイードの剣から逃げる。

 グイードは剣が振り切れると、そのまま上から斬りかかる。
 しかし、グイードが次の動きに移るわずかの間に、アルフィーナは流れるような動作で頭上に剣をかまえそれを阻む。

 そうして二人は、三合、四合と剣を斬りむすぶが、攻撃をしかけるグイードとそれを防ぐアルフィーナと言う構図は変わらない。
 埒が明かない闘いにグイードは舌打ちすると、アルフィーナに斬りかかるのをやめ、間合いを取るように、馬を後退させた。

「なぜお前は本気でかかってこない。手加減をする」
 グイードがアルフィーナに言った。その暗く炯々と光る漆黒の瞳は、憎しみと悔しさに満たされていた。

「手加減をしているつもりはない。俺は別にお前を殺したいわけではない。自分が死ななければいいだけだ。お前がここで剣を退くと言うのであれば、俺も剣を退く。だが、俺への復讐を望むお前が、剣を退くことはないだろう。ならば俺はお前の剣を受けるだけだ」

「――私の復讐は、フィネの命は……。たった一人の肉親を失い、悲しむ私の気持ちは、本気で相手をするだけの価値もないと言うのか‼︎ 人を馬鹿にするにも限度が過ぎる。お前のその身勝手さと傲慢さには怒りを通りこして、胸糞の悪さに反吐がでる」
 言ってグイードは、不快げに地面に向かって唾を吐いた。

「言っただろう。お前がどう解釈するかは勝手だが、俺には俺の事情があると。お前につきあうのは構わない。だが、だからと言って、お前のために俺自身を変えることはしない」
「貴様ァっ」
 馬を走らせ、グイードがアルフィーナに斬りかかった。

 アルフィーナも馬を走らせる。
 剣身のぶつかり合う音が甲高く響いた。
 だがアルフィーナの馬はとまらない。アルフィーナは下からすくい上げるようにしてグイードの剣戟を受けた剣に、走る騎馬の勢いをのせ、それを持つ腕ごと振り切った。

 すさまじい衝撃だったはずだ。

 たえかねたグイードの手から剣が飛んだ。

 高く舞い上がった剣は、ちょうど中天にさしかかった太陽の光を鮮やかに反射しながら、くるくると回って落ちていく。
 それが地面に落ちるよりも早く、アルフィーナは馬の向きを変えると、後ろからグイードの首筋に剣をあてた。剣身は正確に、グイードの首の太い血管をとらえていた。

 アルフィーナがその剣身でグイードの首にそのまま深く斬りこめば、グイードの命はない。
 グイードの仲間たちが色めき立ち、窮地に陥ったグイードに加勢しようと剣の柄に手を伸ばした。

「来るなっ‼︎」
 言ったのはグイードだ。
 その言葉に動きをとめ二人は視線をかわす。
 アルフィーナの蒼氷色の瞳に冷たく見すえられ剣の柄から手を離した。

 グイードが振り返る。剣身がすれて皮膚が裂けた。
 グイードの首筋に一本赤い線ができた。

「殺すのか?」
 アルフィーナのことを憎々しげに睨んで、グイードが訊いた。

「言ったろう、俺にはお前を殺す気はないと。お前が剣を退くなら、俺も剣を退く。復讐は誰のためのものだ? フィネか? だが俺を殺してもフィネは戻ってこない。ならば、復讐の先にお前は何を求める? 俺を殺したところで妹を失った悲しみは消えまい。お前にとって復讐とは何だ?」
「お前が、フィネを殺したお前が、それを言うのか」
 呻くような声で、グイードが言った。

「俺を殺してフィネは喜ぶのか? それを一度考え直せ。それでも俺を殺したいと言うのなら、今度は本気で相手になってやる」

 グイードはアルフィーナを睨みつけたまま、悔しげに歯噛みした。
 後ろから騎馬の駆ける音が聞こえてくる。

「どうする? グイード。後ろから来ているのも含めて全部で五人か。今ので俺の剣の腕はわかっただろう、それだけの人数では俺には勝てまい。俺なら一度退き、準備を整え改めて闘いを挑むが、お前はどうする。復讐を果たせず、仲間たちとともにここで俺に殺されるか、それも一つの道ではあるが」
 グイードが小さく舌打ちした。
「お前の言に従うのは業腹だが、確かにお前の言う通りだ。ここは退こう」
「そうか」
 アルフィーナが剣をひく。それと後ろから来た騎馬がとまったのは同時だった。

 後からきた二人は、状況がわからないと言った様子で顔を見合わせると指示を求めるようにグイードのことを見た。

「引き上げるぞ」
 グイードは仲間たちに短くそう言い、アルフィーナから馬を離すと一度馬を降り剣を拾って鞘にしまい、再び馬に乗った。

「行くぞ」
 グイードはそう言い、仲間たちとともに元来た道に馬を走らせた。
 抜き身の剣を片手に、アルフィーナは騎影が道の彼方に見えなくなるのをじっと見つめていた。

「おい」
 彼らの姿が見えなくなり、草原を吹き渡る風と風に揺れる夏草の奏でる葉擦れの音しかしなくなった頃、アレクシスはアルフィーナに声をかけた。

「何だ」
 剣身についたグイードの血を日よけの外套の裾でぬぐいながら振りむいて、アルフィーナが言った。

「いいのか? あいつらを逃してしまって」
「逃すも何も」剣を鞘にしまいながらアルフィーナが言った。「ここであいつらを倒したところでエーファはまた刺客を差し向けて来るだけだろう。ならば闘おうと逃がそうと大きな差はない」
「だけど、さっきの眼帯の男は、明らかにお前の命を狙っていたぞ」
「なら、グイードだけでも倒せばよかったと?」
「ああ」
「だが、グイードを倒したところで、やはりエーファが俺の命を狙ってくることにはかわりまい」

「だから、さっきあいつを殺せたのに、殺さなかったのか?」
「いいや」アルフィーナが首をふった。「ユストゥスはグイードがエーファの下にいることを知らない。そして俺は、巫王の使いを素直に引き受けたアイツの真意が分からない。ユストゥスはグイードのことを兄のように慕っていた。ヤツは全てを知った上で、巫王に従うか、グイードと心ざしを同じくするか、自分の立場を決めるべきだと思った」

「アンタがそれを言うのか?」自分が過去にしたことに対する責任を無視したような男の言い草に腹が立った。「アンタがフィネを殺さなければ、こんなことになっていなかった。兄貴に今の選択を強いてるのは、アンタが原因だと分かっているのかッ」

「そうだな。俺がフィネを殺さなければ、お前の言う“こんな”ことにはなっていなかっただろう。だが選ぶべきはユストゥスであって、お前ではない。お前が憤るのは筋違いだ」
 アルフィーナが涼しい顔をしてこたえた。
「お前……」
 誰が何を言っても堪えない。アレクシスはアルフィーナのことを睨みつけた。

「それはともかく、さっきので、俺の剣の腕はわかっただろう。俺に護衛はいらない。お前がいてはむしろ足手まといだ。それに旅の間ずっとうるさい子どもの相手はしたくない」

「はあ」アレクシスの喉から呆れとも怒りともつかない声が出た。「それを言うのはオレの方だ。アンタみたいな傲慢で鼻持ちならないヤツの相手なんてしたくないに決まってる」
「意見は一致したな」
「一致? 何が一致したと言うんだ」
「俺もお前も、互いに互いの相手をしたくないと思っている。なら、別々に王都へ向かうのがいいだろう」
 言うとアルフィーナは手綱を握り直し、草原へと馬を乗り入れた。

「おっ、おい、どこへ行くんだ?」
 馬をとめ、アルフィーナが振り返る。
「言っただろう。俺は一人で王都へ行くと」
「でもオレは兄貴に頼まれて、あんたを王都へ連れてこいと」
「俺に連れはいらない。お前は一人で勝手に帰れ」
 言うとアルフィーナは、腹を蹴って馬を走らせた。

 傲慢で身勝手でいけすかないアルフィーナ(ヤツ)
 巫王がなぜ、アルフィーナ(ヤツ)を王位につけようとしているのか、また、兄がどうしてそれに従おうとしているのか、アレクシスにはわからない。
 アレクシスに一つだけわかるのは、アルフィーナ(ヤツ)には王位に就くだけの器量を持った人物ではないということだけだ。

 刺客にやられてしまうのならば、やられてしまえばいい。

 兄から頼まれた使命を考えればアレクシスはアルフィーナの後を追いかけるべきだったが、そうする気持ちにはなれず、草原の中に小さくなって行く騎影をじっと見つめていた。
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