花を愛でる。


それまでに、心の準備をしたかったのに、

秘書課へと脚を進めていた私の背後に立ったその人物が今どのような顔をしているのか、嫌というほど伝わった。この人は不意を突くのが本当に得意だ。


「田崎さん、今日最初の仕事は何だっけ?」


振り返り「おはようございます」と返事をすると、その人が自身のネクタイを整えながら「反応遅いね」と嘲笑った。


「9時から役員ミーティングが大会議室でございます。その後は契約会社の会食、2時からまた会議室に戻り現状の売上報告についての打ち合わせが……」

「あー、一番最初のだけでいいから。長々しいのは後で聞く」


それじゃあ今日も頑張りましょうか。そう口にして私の隣を通り過ぎていく彼からシトラスの香水が香った。
すると彼は思い出したように私へと振り返り、そして、


「あと、その髪型は今日はやめた方がいいと思うよ」

「はい?」

「見えちゃうから、俺が付けた」


キスマーク、声には出さずに動いた唇から言葉を読み解くと慌ててうなじを手で押さえる。まさかと思ったが、首の後ろまでは鏡では確認が出来ない。
男は今朝ベッドで見た寝顔からは一転、不敵な笑みを浮かべていた。


「社長……」

「あまりにも仕事の間色気がない格好をしているから。今日くらいは髪下ろしたら?」


そう口元を緩めた甘いフェイスは昨日の晩、私を離してくれなかった男のものだった。
私の表情筋が死んでいる理由の大部分を占める男がまさか自分の勤め先の会社の社長だなんて、誰が予想するだろうか。

向坂遊馬(さきさか あすま)、32歳。
私はこの男に人生を振り回され続ける。


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