アンチテーゼを振りかざせ

◻︎


「…これ、何?」

「ん?」


お風呂から上がって、バスタオルを半端に頭から被った男が、テーブルに置いていたある物を指差して問う。

「…温泉まんじゅう。」

「温泉なんか行ってたっけ?」

「ううん、今日お土産で貰った。」

「え、一箱まるごと?」

瞳を子供のように丸くして尋ねてくるその反応が、今日の自分と重なって思わず笑みが漏れる。



「…うん。ご褒美だって。」

「ご褒美?」

「尊敬してる先輩が、いつも頑張ってるから全部あげるって。」


ほむさんの褒め方は独特だけど結局嬉しくなる。
彼の笑顔を思い出していると、こちらも心がほぐれて表情が緩むから、あの人は本当に不思議な人だと思う。


「ふーん。すごいな。」

再び視線を箱に落として、軽い口調で把握を示す男。


「……梓雪、」


_______ピコン


そんな男に声をかけたところで、テーブルに置かれたスマホが通知を知らせて突然、音を鳴らせた。





「……紬、今週の金曜会えないかも。」

徐に手にしたそれを確認しつつ、そう告げる三白眼に、まだ微かに濡れた髪の隙間から射抜かれる。



「…え?」

「俺の歓迎会、してくれるんだって。」

「……部署の人達?」

「うん、漸く色々落ち着いてきたからちょっと遅くなったけどって。」

「…そう。良い人達で、良かったね。」


少し照れくさいのか肯定はせず、眉間を寄せつつ笑うだけの男はやはり顔が嫌味なく整っている。

就職してからずっと忙しそうではあったけど、根はとても真面目で、人懐っこさまで持ち合わせたこの男が好かれるのは当然だと思う。


「…なんか、二次会とかまで既に決定してるから長引きそう。」

歓迎会の詳細も送られてきているのか、スマホを確認したままの梓雪は、今度はげんなりした顔をしている。


「そっか、楽しんできて。」

そう言えば、スマホをぽい、と再びテーブルに置いて視線を上げた男が私に一歩近づいて。


「…寂しい?」

「、」

慣れた手つきで私の腰に片手を回して引き寄せる梓雪は、口角を綺麗に上げてそう尋ねてきた。




「なにが。」

「金曜は大体いつも一緒だったから。
紬、寂しくて泣いちゃうかなと思って。」

「馬鹿じゃないの。1人で晩酌するから平気だし。」



付き合ってから、確かに金曜日は
一緒に過ごすことが最も多くなっていた。

理由は明白で、次の日が休みでゆっくり出来るからというのと、今まではこの男が忙しくて他の平日には会えないことが多かったから。


これからは、こんな風に会社の人達との付き合いも増えるのだろう。

そんなの当たり前だし、新しい道で頑張る梓雪にとっても、とても大切なことだと分かっている。



「…髪、ちゃんと乾かさないと風邪引くよ。」

「素直じゃねー、」


私の可愛くない返答にちょっと不服そうだった男は、バスタオルをつんと引っ張りつつ忠告した私の髪を結局は優しく撫でて、ドライヤーのある洗面所へと向かった。




_______ピコン


そうして無防備に置きざりにされた奴のスマホが、再び鳴った音に瞬間的に反応したことを、後悔している。



《久箕さんと飲めるの、楽しみにしてますね♡》


文末まで可愛らしい言葉と、可愛らしいうさぎのスタンプ。

先程の自分の素直さの欠片も無い反応とは、対照的なもの。


通知バナーに表示されたそれらを一瞬でも見てしまったことに罪悪感を抱きつつ、心があっという間にモヤモヤと暗い霧に覆われたのを実感していた。
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