自分勝手な恋

 好き。すごく好き。

 むずしい顔をしてパソコン画面を睨む時にできる眉間のしわも、ペンをクルクル回す長い指も、時々はねてる癖のある髪の毛も、全部全部。
 松木さんが大好き。

 初めは、ただ他部署の上司だった。
 経理の私は設計課の松木さんとはフロアも違って、接点もほとんどなかったから。
 入社式の後の役職さんたちとの対面式での印象は眼鏡にマスクの冴えないおじさん。

 それからは、覚えたばかりの出張費精算や備品購入希望(リクエスト)書類を処理する時に松木さんの承認サインを見かける程度の存在だった。
 それが今はこんなに好きになるなんて。


 ――きっかけは食堂で耳にした会話。


「くそ、ラーメン食ってるのか、鼻水すすってるのかわからねえ……。もう5月だってのに、いつまで飛んでんだよ、今年のスギ花粉は」

「そういや、今年は長引いてんなあ。スギ花粉以外にもあるんじゃないか? 松木だけにマツ花粉とか」

「ちっとも面白くねえ。それよりもお前、明日からアムステルダム(本社)だろ? 俺にその夢のパスポートを譲れ」

「できるか、バカ。まあ、どうせ向こう行ったって、オンラインですませられる内容なんだろうけどな。めんどくせえだけだよ」

「そんなもんだよ。でも今の時期に日本から脱出できるのは本気で羨ましい、ってか恨めしい。なんで俺にはこの時期に限って出張がないんだよ。ああ、もう、日本中の杉の木を竹に植え替えてえ」


 ずいぶん子供っぽいやり取りに、いったい誰が話しいてるんだろうと振り向いて驚いた。
 その場にいたのは、私にとっては責任ある役職に就いた大人の人たちだったから。
 話し方からせいぜい同年代の男性社員だと思っていたのに。

< 1 / 10 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop