大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。

◇開く







燕草月 終九日


ビリー。


できたことはもっとあっただろう、と思うのはもう飽きました。

本当にもう、うんざりです。

でもそれが私をここまで連れて来たのなら。
うんざりも受け入れないといけないのでしょうか。





高く吹き抜けた部屋は、四方向の壁全てが棚で、そこにはぎっしりと本が詰まっていた。

頭より高い所には、狭いが通路も付いているし、もっと高い場所にある本を取ろうと思えば、足元から血の気が引くような長梯子を使う。

中央にはたっぷりと幅がある長机が並び、そこに腰掛けている背中に向けて、カイルは歩を進める。

真横の椅子を引いて、そこにどかりと腰掛けた。

「マリオンは?」

本に落とした目線を上げることなく、ビクターはこれ見よがしに大きく息を吐き出した。

「……侍従じゃないぞ」
「知ってる」
「なら俺に聞くなよ……」
「マリオンより先に会えるんだからしょうがないだろ?」
「もっと探せよ」
魔術師(こっち)側は詳しくない」
「親切に教える筋合いはない」
「……確かに」

諦めて離れて行くのかと思えばそのまま。カイルは机の上で片腕で頬杖を突いた。


つるりと光沢がある白磁の義手は、本物の手と変わらず滑らかに動いて本の頁をめくった。
ちりちりと糸を引くような駆動音が小さく聞こえる。
これも魔術で動いているのかと、感心で目が離せない。

苛々とした態度を隠しもせずに、ビクターは何と聞く。

「どんなもの読んでるんだ?」
「はぁ?」
「何だ」
「聞いたって理解できないことを何故聞くんだ」
「理解するためだろう?」
「…………本当に聞きたいことはなんだ」
「マリオン」
「がなに」
「怒ってるのか?」
「…………知らね」
「俺は何かしたんだろうか」

ぐいと詰め寄ったカイルを避けるように、ビクターは椅子ごと横にずれる。

「あんたらってなんでそうなの?」
「何がだ」
「……人には許容できる距離感があるだろうが」
「……それが?」
「それぞれ違うって思ってないだろ」

真意が汲み取れなくて、カイルはとりあえずビクターと距離を取る。
といっても背筋を少し伸ばしただけで、ほとんど位置は変わっていない。

「あんたらが、近い、鬱陶しい、となるのはどれくらいだ? せいぜい拳ひとつ離れる程度か?」
「……何が言いたい」
「普通はもっと必要なんだよ。腕の長さか、それ以上だ」
「何の話をしてるんだ」
「俺で言うとその範囲はこの部屋ひとつ分はある」
「…………俺が鬱陶しいって話か」

まわりくどいなと口の端を片方持ち上げて、その範囲を考えると微々たるものだが、カイルは少しだけ椅子を後ろに下げた。

「あと、その態度」
「気に入らないか」
「それが人にものを尋ねる態度か?」
「どうすればいい」
「椅子の背もたれは机と並行になってるもんなんだよ……足をしまえ、机の下に入れろ。どうしてお前らはそうやって足を広げて座るんだ。内腿の筋力を母親の腹の中に置いてきたのか」
「はは!……面白いな、ビクター」

素直に足を閉じて机の下に入れ、傾いた椅子の背もたれを真っ直ぐにした。
カイルは一旦姿勢を整えて、横目でビクターをちらりと見る。

「……こういう態度が怒らせた原因か?」
「…………知らね。違うんじゃない?」
「ビクター……」
「読書の邪魔をして悪いのひと言を、何故言えない」
「言ってなかったか?」
「人の時間を掠め取ってる気が無いからだ」
「そんなつもりは」
「なら、今いいか、くらいは聞けよ」
「今いいか?」
「よくねーから苛々してんだよ」
「めんどくさいな、お前」
「だったら俺に構うな」
「…………なぁ、マリオンは?」
「お前もたっぷり面倒じゃねーか」
「…………もう昼になるぞ……」
「しょんぼりすんなよ、俺のせいか!」

静かに席を立つと、きちんと椅子の背もたれを机と並行になるように仕舞い、二、三歩離れた場所で、思い出したように邪魔したなと小さく声をかけた。

何故だか今度はビクターの方が悪いことをしているような気がしてきて、大きく舌打ちをする。

「朝から中央に呼び出されてるよ」
「中央?」
「俺は昨日だった」
「なんだ?」
「戦況報告とかなんとか言ってるけど、俺らに難癖付けて腐したい場だな……気に入らないならお前らが前線に出ろよ」
「……そう言ったのか」
「怒ってたなー……ぷるぷる震えて顔真っ赤だった」
「マリオンはそこに?」
「いつもの調子でやってんじゃないの? はは……おもしろ」
「ありがとう、ビクター」
「俺は侍従じゃないぞ」
「分かってる」




中央棟へ向かって回廊を歩く。

いつもは真っ直ぐ温室に向かうために、そこを通らずに、屋外に出て庭を突っ切って行く。

建物内を通ったところで、さらにその室内にいるはずだから知り得なかっただろうが、遠回りをした感じは拭えない。

いくつかある会議室の、さて、どの部屋だろうかと当たりをつける。
戦況報告なら上官が使用する場所だろうと、奥まった方に通路を曲がった。



大きな両開きの扉の横には先客がいた。

壁に寄りかかり、腕を組み、おまけに足まで絡めるようにしている。
先客はカイルに気が付くとこっちだと言うように頭を傾けた。

「リック……知ってたのか?」
「いや……さっき聞いたばっかりだよ、俺も少し前に来たとこ」
「どうなってる」
「術で防音されてる……じゃなきゃみんな寝てるかな……なんにも聞こえないよ」
「そうか……」

カイルはリックと通路を挟んで向かい側に立ったが、背は壁に付けなかった。
両足でしっかり立って、むんと腕を組んだ。
リックから少し目線を外して、扉を睨む。



昼時を知らせる鐘が鳴って、半刻が経った頃、わずかに取っ手が回って扉が薄く開いた。

やはり防音が施されていたらしく、中から少なくはない人数の気配が漏れ出てくる。

扉を押していたのはマリオン。
目の前にカイルの顔を見て、げんなりした顔に、さらに加えて眉の間に力が入った。
ちらりと横目でリックも見付けて、重たいため息を吐き出す。

「マリオン君、最後にひとつ良いかな」
「…………なんでしょうか」

室内から呼び止められて、マリオンはそちらの方を振り返る。
穏やかな低い声と、マリオンの丁寧な返事の仕方で、相手が魔術師長であることが、伺い知れた。

「君、ここに居る全員を殺すとしたら、どれくらいで終わるかな?」
「……師長様が厄介ですけど……瞬きの間ですかね」

ざわりとしたすぐ後に、魔術師長とマリオン、両者に対して非難と罵りの声が上がる。

それだけでカイルとリックはこれまでの話の内容が察せた。

ひとつひとつの出来事に対して揚げ足を取り、終わったことをむし返して否定する。
そしてマリオンはそのひとつひとつに、丁寧に正論を返す。

それは手に取るように容易く想像できた。
五年前にも似たようなことを日々見てきたのだから。

「方法は? 全員を縊り殺すのかな?」
「そうですねぇ……後片付けが大変でしょうから、地中にでも飛ばしますかね……埋葬の手間も省けますし」
「瞬きの間に出来るのかい?」
「師長様を先にどうにかできたら」
「一番に僕だけ首を刎ねたらどうだろうか」
「後に掃除をする方が気の毒ですが……そうですね。それだと瞬きの間も要りません」

のんきに今日の天気や、農作物の出来具合いを言い合うように、背筋に寒気の走る話をしている。

罵声はいつの間にか収まっていた。

「君にとって、それはどれくらいの手間だろうか」
「うーん……あっちのものを取ってくるとか、落ちたものを何個か拾うとか、そのくらいですか」
「こういう事ですよ、みなさん。あなた方はマリオン君が“なんかちょっと面倒だから見逃している”と自覚した方がいい」

この後は元気よく罵声を上げる者はひとりもいなかった。
誰もが息を飲み込んだのは、部屋の外にいるカイルとリックにも分かる。
自分たちも同じように息を飲み込んだから。

「己の罪深さを認識されることをおすすめしますよ。十五の子どもを最前線に送ったこと、五年もの長期に渡ってそこへ留まらせたことを、です。
確か、貴方のお嬢さんはマリオン君と同い年ではなかったですか、ローレンス文官長。
貴方のお嬢さんは頭が足らなそうですから、マリオン君とは違って、一日足らずで無言の帰宅をしそうですけどね」

最前線に送った張本人、オリビア嬢の父親もその部屋にいた。
落ち着いて、我が事ではないような知らぬ顔。話を聞いて無い風情で返事すらしない。

その様を見て、魔術師長とマリオンは同時にふへと力無い笑い声を漏らした。

「まぁ何が言いたいかというと。要するに、僕は怒っていますよ。先日のビクター君の件も然り。よくもまぁ、これほど優秀な魔術師を使い潰そうとしてくれましたね。
挙げ句の果てに、恥ずかし気もなくこの場が戦況報告だとかなんとか……」
「……あのぅ……師長様、もういいでしょうか。お腹空いたんですけど」
「あぁはいはい、結構ですよ、マリオン君。下がりなさい……ここからはおっさん同士の話です」
「……それでは失礼いたします」

扉を閉じるとやはり一切の音は漏れ聞こえてこない。

静かな廊下には、窓から入ってくる穏やかな陽の光と、リックの長い長い唸り声がある。

「…………お疲れ様」
「混ざりっ気無し、超高純度の面倒くさいです」
「辛辣さも出来上がってるね」
「師長様が聞いた通り、土の中で圧死させてやればよかった」
「わああああ! 聞こえない! 聞こえないよ!!」
「…………マリオン」
「なんですか?」

カイルは無意識で踏み出して、持ち上げた手を固く握って下にした。
ビクターの言っていた距離感の話を思い出して、苦味を堪える顔をする。

「…………食事に……行こう」
「おおぅ……渋い声」
「黙れ」
「俺もまだなんだよね、一緒に行って良い?」
「…………おふたりでどうぞ」
「っええ?!」


リックが声を張り上げたその時、被さるようにして、遠くから人の叫びが聞こえた。
それも複数あるようだった。

三人はそれが発された方に顔を向ける。
騎士たちがいる側の建物からだ。

何かびりびりとした細かな振動が、窓に嵌め込まれた硝子を揺らす。

通路は筒のような一本道、声や振動は遠くてもよく響いた。

「おっと……なにこれ」
「……あ……石牢……」
「何か知ってるの? マリオン」
「ウチの方には、閉じ込める場所がないんで」

マリオンは叫び声がした方に向けて、走る手前の速度で足を動かす。

カイルとリックは顔を見合わせてマリオンの後を追った。

追い付いて真横に並ぶと、マリオンは進む先から目を離さず、手短な説明をする。




騎士側の建物、地下にある石牢には、ビクターが捕まえた地竜を閉じ込めていた。







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