大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。
ジュリエット リー マーレイの遺風

◇夜を歩く








ずいぶんと日暮れが早まった。

それを実感しながら、訓練をさっさと切り上げる。
部下に混ざって蒸し風呂に入り、追い討ちをかけるように汗を流した。
全てこの後の水風呂のために、限界まで我慢する。


部屋に戻って間もなく扉を叩く音がして、すぐ近くに立っていたので誰とも聞かずに自分から扉を開いた。

さっき別れたオーガスタスかその他の部下か、諸用でもあって来たと思った上での行動だった。


瞳の青と髪の黒、肌の白さと唇の赤。
色の取り合わせも、調和具合も、これ以上はあり得ないとしばし見惚れる。

「……夏はとうに過ぎましたよ?」
「……知ってる」
「何か着てもらえますか」
「またすぐ脱ぐのにか?」
「……は?」
「夜這いに来たんだろう?」
「……カイルだけならそう見られる状況ですけど……何ですか、騎士舎では半裸が流行ってるんですか? 健康法?」
「みんな風呂上りなだけだ……おい、見るな」

マリオンは顎を鷲掴みにされて、あちこち見ていた顔はカイルの方に向けられた。

「お前らも見るな……さっさと部屋に戻れ」
「みなさん、なかなか良い筋肉をお持ちですね」
「黙ってろ」

部下たちは口々に、お礼や喜びの言葉を言い、快活に笑いながら機嫌よく廊下を歩き去る。

人がいなくなるのを確認する前に、カイルはマリオンを部屋に引き入れた。

「……何しに来た」
「夜這いですよ」
「夜襲じゃないのか」
「酷い言い草ですね、かわいい恋人に向かって」
「そんな関係だったか?」
「ずいぶん前から噂はあったと記憶してますけど?……いいから服着て下さいよ」

憎まれ口までかわいい偽の恋人の、顎を鷲掴みなのを良いことに、手を離さずそのまま口付けをする。

勢いで抱きしめたいが、流石に服を着ていないと本当に色々してしまいそうなので、マリオンの言葉を素直に聞くことにした。


窓辺にある長椅子にマリオンを座らせて、今さらだがカイルは物入れの扉の陰で服を着た。

こそりと覗くと、マリオンは部屋の中を見回している。

狭い部屋で見えているものは、長剣が数振りと、机の上に積み上がった紙の束くらい。

マリオンの部屋を余裕で上回る殺風景さだ。

「何も面白いものはないぞ」
「……もっといい部屋に移らないんですか?」
「……移るのが面倒なんだ……ここならどこに行くにも近いし、みんなここに居るし」

位が上がったので、カイルには相応の少し良い部屋が与えられるはずだと、マリオンはそのことを言っていた。

部屋を移れば当然広く、今より多少豪華にもなるし、世話をする侍女も付くが、何にしろ持て余しそうな気しかしない。

カイルが素直にそう言うと、マリオンは笑って、解ると頷いた。

「散歩にでも出るか」
「体が冷えるからやめましょう、風邪ひきますよ」
「話があって来たんだろう? ここは壁が薄いし……それにこのままだとお前を押し倒しそうだ」
「あ、出ましょう、出ます出ます。防寒してあげますよ」

カイルが上衣を羽織ると、その肩をマリオンは軽く叩いた。
ふわと暖かい空気が服の中を通った後は、ぽかぽかとして、布地まで柔らかくなったような気がする。

「これ冬用のやつか」
「やつですね」
「教えてくれ」
「夏のをちょっと書き換えるだけですよ」
「それを教えてくれ」
「ご自分で勉強して下さい」
「優しいんだか、厳しいんだか」
「厳しさ九割です。堪らないでしょう?」
「まったくだ」
「変態ですね」
「マリオンのおかげでな」
「ご苦労をお掛けしてます」




騎士舎を出て、中庭に入る。
澄んだ紺色の夜をかき分けながら、手を繋いで歩いた。


夕食の時間帯、寒さも加わって、雲はひとつもなく雨の心配は要らないが、外を出歩いている誰かの姿は見かけない。

本来なら当番制で小間使いの仕事だが、まだこちらまで来るには至ってないのか、マリオンが代わりに、道々にある鉄柱に吊るされたランプに火を着けていった。

昼間より色の濃い石畳に、薄らとした影が落ちる。

頭の上には無数の白く小さな粒々が瞬いていた。



歩きながらお互いに今日の出来事を話す。
ふたりは自分たちが所属する大きな建物を背にしていた。

ゆったりと進んでいるのは、灯りのない館や、遠く城壁が見える方向だった。


「カイル」
「なんだ?」
「ずっと欲しかったものがあったんです」
「うん?」
「他人からは『なぜそれを』って言われそうなものですけど、私はそれを手に入れたかった」
「それは?」
「これです」

マリオンはローブの内側で腕をごそごそと動かすと向かい合い、握った手をカイルの前に出して、その中を見せた。

マリオンの手のひらには、今の流行からは外れた意匠のものが乗っている。

「指輪か」
「はい、指輪」
「……これを手に入れたかったのか?」
「今そんなもの、って言葉を飲み込みましたね?」
「いや…………ああいや、正直思ったけど」
「いいんですよ、私も正直思いますから」
「これを、どうしても?」
「そうですね、無理やり奪ったり、知らない間に盗んだり……まぁ、方法は色々あったし、私ならどれも余裕で可能だったんですけど」
「そうはしたくなかった?」
「はい、出来るなら気持ちが良い方法で手に入れたかった」
「……譲り受けたのか?」
「そうです!……さすが、カイル。察しが良いですね」
「誰からこれを?」
「王妃殿下です」
「…………は?」
「という訳でカイル」
「な……んだ」
「これが私の目的です。そしてそれは達成されました」
「待て…………止めろ、それ以上言うな」
「カイル」
「……頼む」
「ありがとう、まぁ、楽しかったです。それなりに」
「……マリオン、お願いだから」
「これでさよならです」
「待……て、待ってくれ。まさか……」

するりとカイルから手を離すと、マリオンは短く詠唱して転移門を開いた。

夜の中でそれは、青白く光って、マリオンを明るく照らしている。

漆黒の髪が白い光をきらきらと反射させていた。

「どこに行くんだ」
「秘密です」
「ここに帰ってくるのか?」
「いいえ」
「全部放り出す気か、王宮魔術師の職も」
「はい、全部このためでしたから」
「……俺もか」
「……そこは本当に心苦しいんですけど」
「それなら、ここに居てくれ」
「ここにはもう用はないので」
「だったら俺も……」
「カイルはここに必要な人です」
「マリオンだってそうだ」
「そうでしょうね。……でも私がもう必要としてないんです」
「……頼む」
「カイル、私を縛れるのは私だけです」

門に足を踏み入れる直前で、カイルはマリオンの手を掴んだ。

その手の上に、白くて小さな薄っぺらい手が重なる。

冷たく感じたすぐ後に、その手は宙に浮いて、カイルの頬に添えられた。
親指が大きな傷痕をするりと撫でる。

口付けをするほどマリオンの顔が近寄り、寸前でぴたりと止まった。

「…………お礼の気持ちを表したかったんですけど、やめましょう。心は残さない方が良い」
「…………マリ」
「さようなら、カイル」

今までに無いくらい綺麗に微笑んで、マリオンは後ろ向きに下がって、転移門の光の向こう側へ消えた。





ひとりぶんの息使いしか残っていない。
そしてそれは、冷たい空気の中でいやに響いて聞こえる。


「…………舐めてんのか」

ひとつも明るくない紺色に向かって、カイルは声を荒げる。

「ふざけたこと抜かすな! 舐めてんじゃねぇぞ、くそが!!」

その場をとって返すと、走った勢いのまま、リックが居るであろう場所に向かう。

案の定まだ仕事中で、狭いのに豪奢な執務室で、書き物をしていた。

「どした〜? 飲みに行くならもうちょっと……」
「…………辞める」
「ん〜? ちょっとくらい待てってば」
「騎士を辞める」
「…………はい?」
「王城を出る、今すぐ」

顔を持ち上げると、止まったような息をふうと吐き出す。
持っていたペンを置いて、リックは固まっていた体を動かして、背もたれに体重を預けた。

「………………マリオンに振られた?」
「黙れ。俺から騎士職を取り上げろ」
「落ち着け〜? なんて言われたの? 俺からマリオンに話を……」
「もう居ない、これからあいつを追うから、辞めさせろ」
「うん? マリオン、城を出たの?」
「そうだ!」
「ちょっと遊びに、とかじゃなく?」
「……どうでもいいから除籍しろ、部下に追われて面倒なことになりたくない」
「……おっと。ほんとの話?」
「冗談でこんなこと言いにくるかよ」
「……ちょっと落ち着こうかカイル君」
「有り得んくらい落ち着いてる。先ずお前の所に寄ったのを褒めてもらおう」

許可なく王城を出て、無断で職務を放棄すると、王に叛意ありとみなされて、その時点でお尋ね者、王騎士の追手がかかる。

魔術師も同様だが、騎士と比べて逃げ果せる確率はかなり高い。
騎士は簡単に撒かれるし、魔術師は本気で探さないのがその理由だ。

「で、なんでマリオンは出てったの? お前なんかした?」
「もう目的を果たしたから、ここに居る理由がないらしい」
「…………お前が理由にはならなかったの?」
「くそが! そうだよ、いちいち確信突いてくるんじゃねぇ!」
「えっと……マリオンの目的ってなに?」
「王妃殿下の指輪だ」
「な、なに? だれのなに?」
「…………全部か……最初から……そうだ。学院に居た時から今まで…………違う、多分、もっと前……このために学院に入ったのか」
「え、なに、なにひとりて納得してんの?」

学院に居た頃は王城に上がるため、王城に上がってからは王妃に近付くため、王妃に近付いた後は親密さを築いていった。

着実に、最短距離を選んで。

その為の手間と苦労を惜しまなかった。



思い出せる限りのことをリックに順序立てて全部話した。

話し終えたのは夜中に差しかかる時間帯で、途中からふたりは酒を飲みながらになっていた。

ずっとリックは愉快そうに話を聞いている。

「ぐふ! ははは! ヤバいねマリオン。正気じゃないね!」
「……おい、殴られたいのか」
「俺らも似たようなもんだけどな」

再会してからは、もう目的を見失って惰性で働いていたが、マリオンを取り戻そうとしていた時は確かに正気を失ったように一心だった。

後になって自分を客観的に見られて、やっと解ることだ。

「ん〜で、お前はマリオンに協力してたのね」
「……そうだ」
「恋人の役目を演じてたと。ふふふふ! ウケる!!」
「…………立て、殴る」
「わぁ! 宣言した! はいはい、いいから座りなさいよ。……でどうよ、役目を終えて」
「………………すごい好き」
「あらあらまあまあ……知ってたけど」
「……もう駄目だ」
「何が?」
「諦めるなんて無理だ」
「カイル君可愛い! 胸が高鳴っちゃった!」
「だから騎士辞めさせろ!」
「馬鹿たれ。もうちょっと考えろって」
「うるせぇ、考えた結果だ。馬鹿たれ」
「マリオンがどこに行ったか心当たりはあるのか?」
「多分、故郷に」
「マーレイ領だね」
「そうだと思う……それしか心当たりが無い」
「休暇やるよ……行ってこい。半年か……その程度やる。それまでに決めろ」
「なにを」
「また振られて王城に戻るか、マリオンを絆して領地経営するか」
「リック……」
「俺そもそも、お前とマリオンくっ付けて、マーレイ領を任せる気だったし」
「おい、なんだそれ」
「あっち側怖いよね……一触即発な状態がずーっと変わらない。マリオン居ればその心配無くなるし、お前がそれを支えたら、なお安心」
「…………お前くそだな。人を壁扱いするなよ」
「我が国を愛すればこそだよ」
「嘘付け、マーレイ領の手前にある実家が心配なだけだろ」
「あらバレた」
「…………明日の朝に出る。それまでにどうにかしといてくれ」
「休暇な……半年」
「分かった、頼む」
「任せなさい」



夜中の内に荷を準備して、朝になってからマリオンの使っていた部屋に行った。

持ち出されたものがあるように見えない。

以前に見た時とどこが違うのか分からないほど、すぐにも住人が戻って来そうな雰囲気だった。

ごちゃごちゃした作業台の上も、物入れの衣装も、机の引き出しの中も。
何かが無くなったような、ぽっかり空いた隙間は無かった。


机の上の、いつか見た小箱を開ける。

「…………くそが」



中には銀の小花の髪飾りと、硝子細工の小鳥が入っていた。







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