大胆不敵な魔女様は、悪役令嬢も、疑恋人だってできちゃうんです。

◇名前のない想い







カイルは床に座り込んでひとつ息を吐き出した。

腕だけで体を支えて、ぎりぎりまで顔を寄せる。

聞こえてくる小さな息と、安らかな寝顔に心中で唸り声を上げた。
絨毯が敷いてあるだけの床の上、体に巻きついているのはいつもの肩掛け一枚。
寒さは魔術で凌げているのだろうが、そういう問題ではない。
起こして言い募りたいが、本人はきっと何ひとつ気にしていないだろう。
だから床の上なのだ。
この部屋の端にある長椅子でなく、使われていない他の部屋の寝台でもなく。

床に散っている髪の毛をひと束手に取って持ち上げ、口付けを落とす。

部屋に運んで寝台に寝かせようかとも思ったが、余計なことをと怒られそうな気もするし、何も無かったように気にしないとも思える。

どちらにしてもカイルに利は無い。
損得の話ではないのだが。

もう一度、心で唸り声を上げながらマリオンを抱き起こす。

姿勢が変わったことでもぞりとしたが、目を覚ます気配は無く、すぐに呼吸は落ち着いた。

カイルは床に座ったまま、マリオンを膝の上に乗せて、自分の胸にもたれさせた。
そのままカイルも、すぐ後ろにある立派な執務机の脚に背中を預ける。
手探りで頭上にある本を取って、目が覚めるまでしばらく読んでいようと表紙をめくった。

ぴったりくっついていられるのは最高だし、マリオンが起きれば嫌でも自分を意識するしかない。
この名案にひとりにんまりとしながら、カイルの視線は本とマリオンの顔を行ったり来たりする。


マリオンが目を覚ましたのは、もうすぐ昼にもなろうかという時間。

ぼんやりと不機嫌そうに状況を汲み取ると、ぼんやりと不機嫌そうにカイルを押し退けて、そのまま書斎を出て行った。

身支度を整えて帰ってきたのは、昼時を知らせる鐘の鳴る直前だった。

「俺は今日から森に通うんじゃなかったか」
「今から行けばいい」
「できたら朝から行きたいな」
「……朝から出かけたいならコリンと」
「分かった」
「……そうか……今からでもコリンに頼めば良い」
「うん……夜はまた術の勉強を」
「そのやる気が鬱陶しい……」
「おい、水を差すなよ」
「コリンなら厩か、じゃなきゃ、アーノルドの手伝いしてる」
「……わかった、出かけてくる」
「はいはい」

頬を撫でて、軽く口付けるとカイルは機嫌良く部屋を出て行った。

マリオンは部屋の端の長椅子まで行くと、今度はそこで横になって目を閉じる。




日の出の時間にはコリンを手伝って馬たちの世話をし、それが終わると森に入る。

日暮れまで森の住人たちから魔獣の狩り方や、集落での暮らしや、決まりごとを教えてもらう。

日が暮れてからはマリオンと魔術についての勉強をした。

毎日学んだり、くたくたになるまで身体を動かして過ごすのは、カイルにとって久しぶりのことだった。
しかも魔力を使い果たす手前までが日課に加わっている。

そうしているうちに年を越し、その頃には元来から持っている求心力を発揮して、カイルは多くの人と親しくなっていた。
コリンもいつの間にかカイルを慕っている。

酒の席に誘われ、引き止められることもあったが、夜は必ず屋敷に戻ることに決めていた。

「今夜はどこで寝るんだ?」
「自分の部屋で」
「よしよし、いい子だな」

どこで寝ようとしても、カイルが口を挟んでは確認を取ってくるので、この頃はきちんと寝台で眠ていた。

マリオンが寝台に入ったのを見届けると、カイルは隣の部屋に行く。
元は使用人の控えの間だった部屋は、物置のようになっていた。今は居心地よくカイルが寝床を整えている。

目覚めるとたまにカイルに抱きしめられていることもあるが、基本は別々に眠る。
保たれる理性を褒めて欲しいと言われるが、マリオンは毎度聞かなかったことにしていた。



日差しが暖かくなり、雪が緩んで水気を多く含むようになった頃。

カイルは王城に、リックに宛てて手紙を書くことにした。

恙無く過ごしていること、このままマーレイ領に住むこと、騎士の職を辞することを願い出るという簡素な内容だ。

「……どう思う?」
「もう少し何か付け足したら?」
「他に何かあるか?」
「……心配せずに元気で過ごせ的な……」
「……ああ……いるか?」
「いや、あんまり短いとリックが不審に思うんじゃ?」
「あんまり長々と書く方が何かあると怪しまれそうだぞ」
「うんまぁ、いつもと変わらなくしたならそれで良いけど」
「マリオンを妻にしたって書いても?」
「嘘にも程がある」
「そのうち妻にしたい、は?」
「それは希望なんで、お好きにどうぞ」
「した、は駄目なのか」
「残念ですが」
「…………くそ」
「本当にいいの?」
「なんだ?」
「王城の騎士を辞めるとか……『王の庭』まで行った身で……ご家族が気の毒」
「うーん……同じ内容の手紙を実家にも送るか」
「それで済ませる気?」
「マリオン一緒に俺の故郷に行ってくれるか?」
「ええ? なんで? めんどう……」
「ほらみろ……手紙で済ませるのが楽だろ」
「私はカイルに王城に帰って騎士を続けるのを勧めたい」
「おい、まだ言うか……いい加減諦めろ」
「えええええ」
「諦めて俺の妻になってくれ」
「んーーーーー」
「何が不満なんだ」
「…………不満ていうか」
「手を握ることも、髪に触れることも、抱きしめることも、口付けをすることも許しておいて……お前これで他の男とか言えないぞ?」
「いや別に他の誰かなんて無いけど」
「なら俺でいいだろう」
「んーーーーー」
「なんなんだおい!!」


手紙を持って領地の中心へ、民の多い辺りに出かけた。

城都の方面へ行商にでると聞いていたので手紙を託す。
森からの木材を使った家具や、薬草を売りに出るので、売り切れるまでは城都へどんどん近付いて行くのだと教えてもらった。
そこからは商人伝に手紙が渡っていくので、届くまでにはそれなりに時間がかかりそうだ。
実家への手紙はリックに任せることにした。
余計な言葉を添えて確実に届けてくれるに違いない。

行商の一団は手紙を運ぶことを快く引き受けてくれた。若い森の住人をふたり警護につけている。

一団を見送るとマリオンはカイルに先に帰るようにと言う。

「どうした?」
「ちょっと出てくる」
「どこへ?」
「……買い物?」
「俺も行こう」
「遠くまではカイルを運べない……疲れるから」
「どこまで行く気だ」
「行ってきまーす」
「あ、おい!…………くそ」

術の展開が早くて、カイルにはマリオンがどこに向かったのかすらよく見えなかった。

魔術を教えてもらえばもらうほど、マリオンの凄さを身に染みて感じる。

ひとり屋敷に帰って、いつもと同じように過ごす。日が暮れて、眠る時間になってもマリオンは戻ってこなかった。



「お嬢様が?」
「ああ、今朝になっても戻ってないぞ。どこに行ったか知らないか?」

厩舎の中を掃除しながら、カイルはコリンを手伝っていた。

「カイルが知らないのに、俺が知ってるわけないでしょ」
「そうか?」
「それにこういうことはちょくちょくあったよ、カイルが来てからは無かったけど」
「出かけることが?」
「うん。急に出かけて何日も戻らなかったりは、よくあった」
「何日も?」
「長くても三、四日で戻ってきてたけど」
「何しに行ってるんだ」
「いちいち話さないのがお嬢様だよ」
「…………今晩戻らなかったら、お前が先生をしてくれ」
「なんの?」
「魔術の」
「いいよ」

コリンも元は森の集落で生まれた。
両親は健在で森にいるが、魔力量を買われて屋敷で働くことになり、ここで生活している。

マリオン程とはいかないのはもちろんだが、知識と技術は相当で、マリオンを師にしていた。

ここの人々は他の魔術師のように知識や技術を出し惜しんだり、隠したりはしない。

それはこの領地の為、ジュリエットの意志を当然のように受け継いでいるからだった。



マリオンはその二日後に戻ってきた。

夜中に帰ったらしく、朝には寝台にいるのを見つけた。
よく眠っていて、カイルが抱きつこうが起きる気配がない。

それで気付いたことにカイルは眉をしかめる。

起きたら問いただすか、きちんと答えて教えてくれるのか。
ちっともそんな気がしないのが腹立たしい。

「くそったれ……覚えてろよ」

ぎゅうぎゅうに抱きしめて、あちこちに口付けをして、止まらなくなる前にやめておく。

額にかかった髪をそっとよけて、顔の輪郭をゆっくりと撫で、心でくそくそ唱えながら部屋を出て厩舎に向かう。



その日、森の奥に出た魔獣を狩って、日暮れに集落に戻った時には、マリオンは集落の子どもたちと一緒に魔術を繰って遊んでいた。

しばらくその姿をうっとり眺めていると、周りの男衆にあらあらと揶揄われる。

堪らず近寄ってぎゅうぎゅうに抱きしめていると、表で煮炊きをしていたご婦人連中にまあまあと微笑まれた。

集落では各家庭というよりも、協働で生活している。

男たちが護衛や狩りに出かけ、その妻たちは集落全員ぶんの食事を用意する。
若い者は国内や隣国に商売をするために数人で組みになって旅をして、外からのものを買って帰るし、子どもたちは年寄りがまとめてめんどうを見ていた。

魔力の多い者は術を学び、そうではない者は戦い方を学び、体の悪い者を集落全体で支えている。

最初はこうまで纏まって、うまく機能していなかったのだろうが、今ではジュリエットの理想により近付いているのではないかとカイルは思う。

比較的広い集落の真ん中で、みんなで火を囲み、賑やかに食事をする姿を見て、余計にそう感じた。

確かに今まで数えきれないほど問題はあっただろう、それは想像に難くない。
森の外にいる民とも、未だに拭いきれない隔たりがあるのも見かける機会はあった。

マーレイ家がその双方の橋渡しをしているのも理解した。

若い世代になってやっと、お互いが支え合って成り立つ地なのだという考えが根付きつつある。

いつか近い将来、こうした垣根がなくなればいいと、お互いがそう思っているのだと信じたい。

そんな希望が持てる場所はそう多くないとカイルは考えていた。

自分の実家がある地は、ここの考えを受け入れるほど成熟していない。
身分が高いほど家だの地位だのに拘っている。
それはどの地でも大して変わりない。

「難しいこと考えてる?」
「ん?…………楽しいなと思ってる」
「そんな顔してない」
「そうか?…………ここはいい所だな」
「当たり前」
「うん……ジュリエットはこの光景を見たかな」
「…………カイル」
「どうした?」
「私、今かなり感動した」
「なに?」
「カイルを好きになった」
「いまごろ!!」



押し倒す勢いで抱きしめると、その続きは帰ってからにしろと周りのみんなが一斉に笑う。


ジャレッドは静かにコリンの器に酒をなみなみと注いだ。







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