若女将の見初められ婚

倉木さんは、先ほどの揉め事には何も触れず、しの君との昔話を話してくれた。

しの君と倉木さんは中学校からの付き合いで、高校、大学も一緒だったそうだ。

「いわゆる腐れ縁ってやつやな」

倉木さんの名前は「大(ひろむ)」といい、しの君と同じように、初めて会う人にはなかなか正確に読んでもらえず、あだ名は常に「ダイ」だったそうだ。

そう言えば、さっき理沙さんもそう呼んでいたなと思い返す。

しの君と仲よくなるきっかけは、「お前も名前で苦労してるんやな」と話しかけられたことで、
それから、周りには「ジン」「ダイ」と呼ばれながらも、お互いは「しのぶ」「ひろむ」と呼び合うようになったと教えてくれた。

二人とも老舗の店を継いでいく身。その立場にならないとわからない辛さも多く、「友達というより同志という関係やな」と少し照れたように話してくれた。


私たちの結婚の経緯を聞かれたので、簡単に説明する。

「理沙さんに、政略結婚って言われた時は、そんなことない!って思ったんですけど、今は正直わからなくて」

最近、しの君とうまく意志疎通ができていない。その不安が弱気な言葉を出させた。

「もしかしたら本当に、私が女将に向いてそうやなと、ただそれだけで仁さんは結婚したのかなって考えたりするんです。好意以前に、女将をスカウトする感覚で」

つい苦笑いが漏れる。

「それでもいいんです。『たちばな』を救ってくれたことは、本当に感謝しています」

呟くように言って思う。

半分本当で半分嘘。

「たちばな」を救ってくれたことを感謝しているのは本当。

でも、「政略結婚でもいい」なんて思ってない。普通に愛し合って結婚した夫婦のように、お互い慈しみながら歩んでいきたい。

理沙さんを抱くようにしてタクシーに乗り込む、しの君の姿を思い出して、胸がキュッと苦しくなった。

暗くなった気持ちをあげるように、声のトーンを上げてみる。

「結婚した経緯がどうであれ、仁さんと結婚して私は若女将になれた。若女将の仕事が好きだし、これからも頑張っていきたいと思ってます」

仕事に関しては、全く偽りなく話せる。人に話すと、自分の気持ちが整理されるというが、倉木さんに話して、自分がいかに若女将の仕事が好きなのかがわかった。

この気持ちだけは忘れずに頑張っていこう。

「志乃ちゃんは、がんばり屋さんなんやな」
倉木さんは微笑みながら、軽く頭を撫でてくれた。

「仁のことが嫌になったら、俺のとこにおいで」

おどけた様子で手を広げて誘う。
これは…
後先考えずに飛び込んでいく人が続出だろう。恐い!ぶるっと震えた。

「そういえば、この前志乃ちゃんが酔いつぶれた時、『いわくら』の女将さんが、志乃ちゃんを俺の嫁にくれるって言ってたな。女将さんの許しもあるから大丈夫や」

倉木さんはハハハと素敵な声で笑った。

女将さん…
あの日の翌日、「志乃ちゃんがお嫁に行っても、うちはお母さんのままやから」って訳のわからんこと言ってたけど、このことか。

私はずっと「いわくら」にいるつもりやのに。

困ったように笑った。

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